潜龍鍼師

WEBから鍼灸へ変えた話

チャリ旅行記 屋久島編 その6

13日目 宮之浦 ⇒ 種子島(島間港) ⇒ 島の真ん中らへんの海辺 35km

やっと屋久島を脱出できる。
フェリー場には人が結構いた。
何せ、みんな足止めされていたから。
そんな中に2人のライダーと1人のチャリダーと会って、
フェリーの中で話していた。


チャリダーの人とは一日だけど、種子島を一緒に旅した。
ほかの人と歩調をあわせてチャリをこぐというのは結構気を使う。
このときは自分の方が遥かに重量が軽くて、合わせる側だった。
相手は鍋とか包丁とかフル装備だったから、
かなりの重量で、走るのもつらかっただろう。


種子島を走って思うのは、屋久島とはだいぶ違った雰囲気がした。
屋久島と近いのに地形的には全く切り立ってなくて、なだらかだった。
最高点でも282mと低い。
そんな地形だから、波が立ちやすいんだろう。サーファーがちらほらいた。
また、地元の人の反応が変なものを見るような目線だった。
屋久島では旅人が多いせいかフレンドリーだが、
こっちはさも珍しいかのようだった。



大きな地図で見る

14日目 海辺 ⇒ 種子島西之表港) ⇒ 鹿児島港 30km

さて、とうとう入り口の鹿児島港に戻ってきた。
チャリダーの人には別れを告げた。これからフェリーで地元の四国に帰るとか。
鹿児島港のフェリー待合室に再び戻ってきた。
しかし、この数日で多くのことを経験した自分は、
以前そこに寝ていた自分よりも確実に1まわりも
2まわりも大きくなったことを実感していた。
この数日間の事を考えているうちに、夢の中に落ちていった。



大きな地図で見る

15日目 鹿児島港 ⇒ 北川(延岡の北10Km) 210Km

フェリーで桜島に渡り、北を目指した。
2日半で福岡から鹿児島に来れたのだから、
2日で戻れるだろうと。無謀にもそう考えた。

すぐに都城から宮崎に入り、ひたすら北上した。
にしても宮崎は長い。
行けども行けども、県境は来ない。
でも、助かることに平坦だ。アップダウンがない。
後はひたすら時間との戦いといったとこ。
夜の9時を回っただろうか、さすがにもういいだろうというとこで、
道の駅を発見したので、そのままそこで寝た。
今日はよくこいだと思う、我ながら。
芝生があったのでテントを張ってもよかったが、
面倒というのと、なんとなく、周りに人がいるとこで寝たくなかった。
なので誰も使ってなさそうな、障害者用トイレを内側から錠をかけて寝た。
幸いにも内側には横になれそうな段があったから、
ラッキーと言わんばかりに寝た。
人の気配がしたが、無視した、ちょっとどきどきはしたが。



大きな地図で見る


16日目 北川 ⇒ 福岡 50km

さて今日はさくっと福岡に帰る日だ。
快調に朝から飛ばしていたが、
50kmぐらい走ったとこでパンクしてしまった。
換えのタイヤはといったら、手元にはなかった。
近くにチャリ屋は到底ないようなド田舎だった。
そんな事をごちゃごちゃ考えているうちに、心もパンクしてしまった。
結局、輪行(チャリを分解して折りたたんで電車に乗っけること)で、
大分のどこぞの駅からさくっと福岡に帰ってきた。ま、よかろうも。



大きな地図で見る


まとめ

以上が自分の初めてのチャリンコ旅行である。
最後は尻切れトンボになってしまったが、
それでも今までの旅全てを振り返ってみると、
この初めての旅が一番印象に残っていて、
心身共に充実していて、楽しかった。


ここから学んだことは、自分がちょっと難しそうで、できるかどうかわからない。
といったことに一歩踏み込んでやってみると世界が広がるし、
そういったときの記憶こそが、鮮明に覚えているということ。


また、ピンチは必ず訪れる。
そのときにぐっと耐えて、少しずつ前進すると、
完全に閉ざされたかのように思われた道が開ける。
そういった、メンタルの部分も多少なりとも得た気がする。
まあ、ヨットで培った土台が結構大きな影響をしている。


最後にこういったハードな遊びをしたいと思ったら、
常日頃から自分の体を鍛えておく必要がある。
レーニングによって効率よく鍛えるか、
スポーツなどで遊びながら楽しく鍛えるかは、
人それぞれなんだろうけど。