潜龍鍼師

WEBから鍼灸へ変えた話

弱い自分とつきあう

こう人生が長いといろいろある。いい事もあるけど、そうでないことも。
その中でも気分が落ち込むこともある。
例えば、自分自身の能力不足、信頼の置けない自分、
他人とうまくいかない関係、他人の中傷、身体能力の低下、などなど。
人それぞれいろいろあるかもしれない。


まあ要するに自分の思い描く道と剥離して、
現実には低いところでくすぶっているような時に起こりがち。
だから他人に相談すれば、「まあたいした事はないから気にするな」と言われる。
そう言われて、自分がハイそうですかと納得できればいいが、そんなに単純じゃない。
いや、やっぱりそうじゃないとか、
堂々巡りでぐるぐる思考が行ったりきたりすることもある。


しかし、この感情をうまく利用してバネにできれば、
次に大きなリターンとなる可能性を秘めている。
逆に、コントロール不能に陥った感情に支配され、慢性的になると肉体に影響したり、
己ばかりか周りの人までも巻き込んで悪影響を及ぼしかねない。


次の方法の模索と実行に頭が切り替わって集中できればいいが、
大体においてその前に感情的に沈んだり、
落ち込み打ちのめされる。それが人間だから。


自分の中では、そのリカバリーの方法について、
いくつか種類があるみたい。


方法1:体を動かす。

しかも即座に。ごちゃごちゃ考えているうちに体も止まっては元も子もないので、ここは集中する。

自分の場合は散歩か自転車に乗る。当然簡単なエクササイズなので、
沈んだ感情はすぐに切り替わるわけはなく頭の中をぐるぐる回ってはいる。
しかし、一人で部屋の中にいるよりかは考え方がいい方向に考えるように、どうもできているみたい。
これは体を多少なりとも動かすということが頭にいい影響を与えているんだと思う。
頭が止まったときには、体を動かしてみる。心と体はどこかで一つにつながっているんだと思う。

あと掃除もなんかいいみたい。手を動かして、何かをきれいにするという作業は、
精神的にもいいようだ。

方法2:情報を取り入れる

音楽を聴く、映画を見る。いまやネットにつなげば膨大な情報へアクセスが可能。
この時の目的は、刺激を受けて今の自分の心を揺さぶるというとこに自分は集中する。

方法3:人と話す

これは万国共通だと思うけど、確かに気分は一新される。単純なトークでもいいし、
相談できる人がいれば、ありがたい限りだ。

方法4:己を受け入れる

自分というのはこの程度なのかということを悟る。
巷にあふれる情報は、誰かの成功体験とか、たまたま起こった事柄を書きたてている。
内容的にも刺激的な情報じゃないと誰も見てくれないから。
しかし、そんな情報ばっかに触れすぎていると、自分と比較したときに居場所はなくなる。

付き合っている誰かがいるわけでもなく、友達だって数えるだけしかいない。
将来食っていけるような保障もスキルもない。
そんな存在だって呼吸して、生きることはできる。
そしてこの先ずっと変わらないかもしれない。それでもいいと思えるかどうか。
最終的には呼吸して、存在することができれば満足と思えれば、
おそらく己は受け入れられると思う。
勝手に自分の頭の中に作り上げている偶像を壊し、
しがみついていた何かを、全て捨てることだと思う。

方法5:考えない

これは簡単そうだが、実は難しい。
理屈としては、考えてもどうしようもなくて意味がないが、
感情的にそれが納得できないという時、勝手に思考が奪われている。


考えを止めるためには、自分は十年前を思い返してみる。
そうすると何が見えてくるかというと、その時もやはり今と同じように、
喜怒哀楽があって、日々浮かんだり沈んだりしていた。
しかし、その中でも今につながっている重要なことがある。
そのとき一生懸命やっていた活動や経験が後々につながってきている事を、
長く生きれば生きるほど理解するようになってくる。
それと対比して、いま直面している問題というのは、後々いかほどの影響があるか、
と考えると多くのケースは案外たいした問題とならないかもしれない。
そうイメージできたら、ちょっとは胸がすっと楽になる。


今まで経験してきて、時が経てば感情は薄れていくということを既に知っている。
十年前と同じようなことで浮き沈みしていると、若い自分に笑われそうだ。
後々につながる事に時間を費やした方がいいと思う。


復帰

しかし、いつまでも悲劇のヒーロ・ヒロインに浸っているわけにもいかない。
時は無常にも過ぎていくばかり。
あくまでも上記の方法は、負の感情との付き合い方。
少しでも戦ってやろうという前向きな方向に向けば、即座に行動すべき。
まだ、自分は死んではいない。
何かしら外に働きかけられる何かがあるはずだ。そこに集中する。


ちゃんと実行できる可能性がある行動を立てる。
というか万年三日坊主だと、そんな風に自分を裏切り続ける方が苦しい。
何かしら一つ、どんだけでもいいから敷居を低くして、超えたということが重要かと。
一つ超えれば後は、量と時間の話で、どれくらいのレベルへ、
いつまでということに目標が変わるだろうから。
それでも、ものによっては同じ事を繰り返すかもしれない。これもまた人間。
そうしたらまた方法を変えるしかないだろね。
人に聞く、本を読む、自分でしらみつぶしに試しまくる、環境を変えてみる、こういったことかもしれない。
場合によっては、完全にそのことから遠ざかることが、解決になるのかも知れない。



日々の経験には、後々使い回しができる類のものと、その場限りで消滅してしまうものがあるようで、
前者を得ようと、頭がだんだんシフトして来ているみたい。




PS:
お隣さんからもらったコンビニ寿司を食べてみた。
彼は寿司はあんまし好きじゃないみたい。
こっちの寿司のステータスはそれなりなもので、
寿司のファーストフードみたいな店には結構人が入っているし、
コンビニでも、結構売られている。
で、食べてみた感想は、寿司風味の何かという感じ。
カニカマを持ってきて、これは蟹ですとこじつけているような感じ。
ご飯は硬くてプラスティックみたいな食感だし、
ゴミみたいなネタがしょぼんとしか入ってなくて、
こんなのが寿司かと思われていると考えたら、残念でならない。
表紙のタイトルはFish SUSHIになっている。
寿司は基本的に魚に決まっているでしょーが。
もらった人にはぜひ本当の寿司を食べてもらいたいが、
自分が食べさせるにはちょっと値が張るなー。
あと実際に生食用の魚って、そこら辺では売ってないんだよね。


ああ早く本場の寿司が食いたいわー。
何が好きかというと、"えんがわ"と"貝類"
白くてぷりっとした食感がたまらんです。