潜龍鍼師

WEBから鍼灸へ変えた話

チャリ旅行記 日本縦断編 その3

2001/9/24 函館 => 黒岩 87km

朝起きたら、相当いびきをかいていたらしい。
みんな引いていた。自分の下に寝ていた人は顔が引きつっていた。
ものすごいバイク並みのサウンドだったとか。すんませんねー。
朝からまたおっちゃんが酒を振舞い出し話し出す。長いんだこれが。
宿を後にして、ラッキーピエロのチャイニーズチキンバーガーなるものを食った。
まあ、うまいけど、自分で作ってもこんなもんじゃないかと勝手に思った。
五稜郭を横から見てみたけど、ただのお堀にしか見えんかった。
あれは上から見ると、幾何模様みたいですごいのにね。

函館を出て少し北にいったとこの峠を越えたら、どーんと山が見えた。
これぞ北海道といった感じ。
森(地名?)に行ったら、なんかやらかした犯人が逃走中だとか。
マジかよとか思って、足早にそこを離れた。
そうそう、"いかめし"は完売だった。残念。
明日は"かにめし"が食いたいなー。って食い物ばっかし。
というのも、北海道に上陸するまで、
観光っぽいことをせずひたすら一日中がりがりこいでいたから、
とうとういろんなもの食べたい欲が爆発したっぽい。カツゲンもお気に入り。



大きな地図で見る

2001/9/25 黒岩 => 虎杖浜 136km

今日は朝一かにめし(¥1000)を食った。
まあまあの味だけど、一度食ったらまあいいかな。
室蘭で雨に降られてブルー。
音の鳴る砂浜は雨でならねー

登別のさぎ湯、すっぱくて鉄っぽくて硫黄の味、飲めないらしい。
味だけチェックして吐いた。


道の途中で函館の宿で一緒だった人たちと再会した。
彼らとは、今日の宿を共にすることにした。
というのも宿というか、銭湯に入ると、
二階の座敷で一晩寝れるらしい。ナイス情報サンクス。

夕方は例の銭湯に行って、ひとっ風呂浴びて、例のバイカーと飯を食った。
例によって、彼らはガッツし食材持っていたので食べされてもらった。
この場を借りてお礼、あざーす!



大きな地図で見る

2001/9/26 虎杖浜 => 札幌 103km

またまた朝から飯を食わせてもらった。
やっぱバイクだといいわなー。
いろんなものを搭載できて、料理とかもガッツしできる。
うどんとほたて缶詰、うまかったわー。

天気は雲一つない快晴、言うことなしだ。
そこら辺の地元のおっさんと話していたら、
どうも近くに温泉があるらしい。早速行ってみた。
その名も"フンベ温泉" これぞ正に"旅"といった感じの
汚くてちっちゃい掘っ立て小屋が海の崖の上に立っている。
眼下には海が広がっている。最高だった。
中に入るとまず目に付くのが、怪しげな三つの絵が飾られている。
両サイドは船の絵で、真ん中は女の絵。色使いがもう毒々しくて、
イメージとしてはムンクの叫びみたいな感じ。
早速服を脱いで浴槽に浸かる。
味はそう海の近くっぽく塩味が利いていて、ホタテの風味も心なしかする。
色は白く濁っている。
見晴らしが最高で、ホント生きててよかったと感じる時だった。
九州から毎日がりがり走りづめ走って、幾度となく雨や風が行く手を阻んだ、
そんな記憶の先の出来事だったので、爽快感も格別だった。

人生で感動する瞬間って、単にギャップだったりしてとこの瞬間感じた。

空は晴れ渡っていて風が気持ちいいー、そんなお昼の出来事。


とうとう札幌に来た。自分にとっては初めてだ。
かなり栄えている。すすき野を通り過ぎて、H大に行く。
そこでH大ヨット部のKと待ち合わせ。今日は彼のうちに泊めさせてもらった。
そうそう、その前にH大ヨットの先輩の送別会に臨時ゲストとして出席したら、
うちの部の一コ先輩のMさんが研究の為にH大に長期滞在していた。
というかほぼH大ヨット部員として、溶け込んでいるようだった。
なんでも、研究の為に日々や熊と格闘しているとか。どこまで本当なんだろう。



大きな地図で見る

2001/9/27 札幌 => 小樽(祝津) 40km

朝一起きて、二度寝してしまった、次起きたら10時を回っていた。
やべー遅刻やー。
というのも、H大ヨット部の練習に参加することになった。
Kは車で後輩を拾って先にいくから、
俺はチャリで行くことになっていたけど、いくらなんでも遅すぎやろー。
片道40km遠いのー。彼らは毎週末これを往復しているというのか。
祝津に着いた。ホント知っているのは数人だけ。
主将のM川は7帝に来ていたから知っている。
彼のネタだったケンシロウはおもろかった。今でも覚えている。
ハーバーの前の青塚食堂の花魚丼はマジでうまかった。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200809/26/56/c0097856_0575471.jpg
ほたて汁とかつけものも細やかで、ほっけの蒲焼風かな。山椒もぴりっと辛くて。


午後からレーザー(一人乗りヨットの艇種名)に乗った。
旅の締めくくりにレーザーに乗るとは夢にも思わなかった。
昨日は秘湯で気持ちよか〜ってやっていたのが、今日は海でヨットである。
移り変わりにも程がある。


練習を見ていたが、代交代して間もないというのもあるけど、
まだまだ先が長いなーと思ってみていた。でも北海道の冬は厳しく、
3週間後には海上での練習は終わりらしい。
あとちゃんと練習を定期見てくれるOBが不足していて、
Kぐらいなんだとか。やつも愛想尽かしている感もあるけど。
夕飯はKにドンキーでまたまた食わせてもらう。わりーな貧乏なだけに。
艇庫というか合宿所は築3年ですげーきれいだった。
夜には恒例のミーティングに出席して、なんかえらそうに言ったみたものの、
あんまし参考にはなっていないだろうから、流してもらえればと思った。
その日は艇庫で寝させてもらった。艇庫と言ってもうちの大学とは雲泥の差で、
どっかのコミュニティーセンターといった感じ。
にしても毎度、他の人、いびきごめんなさい。



大きな地図で見る

2001/9/28 小樽 => フェリーで福岡へ戻る

朝は混ぜご飯とちょっとドロッとしたスープを出してもらった。
貧乏チャリダーにはありがたい施しだ。
朝から強風で出艇中止。トレーニングと座学することになった。
まあ自分はすることがなくなったので、再び旅に出た。と言えばかっこいいけど、
単に小樽港から出ているフェリーで福岡に帰ることにした。
(直行便がなかったので、小樽=>新潟 =100Kmチャリで走る=> 直江津=>福岡)
旅の最後を部活の合宿で締めれたというのは、なんかよかった。
ところで何でレスQの事をチャカて呼ぶんだろう?


最後どうしてもいくら丼を食べたくて、
探し回ったんだけど、いまいちここは当たりだろうというとこが見るからなかった。
そんなこんなしていたら、フェリーを危うく逃すとこだった。
どうもこういったタイムマネージメントが抜けているのは反省の余地がある。
六花亭のバターサンドは相変わらずうまかった。ホント大好き。

まとめ

こうして自分の念願だった日本縦断は幕を閉じた。
旅の中では毎日がめまぐるしく変わっていく。
結論としては本州は基本的にそこまで刺激的ではなかった。
まあ、ひたすら北を目指してこいでいたというのもある。
北海道はチャリダーとかバイカーとか変な人らが集まってくるからおもろくなる。
また、そういった人が集まる場所に行かないと会えない。


必要なことはこんな感じ
①いつも強いイメージを持ち続ける。
②実行するために必要なもの(情報・道具・資金・体力)を集めておく
③一歩踏み出すかどうかの勇気


布石として前回の屋久島の経験にも大いに助けられていると思う。
あの経験から、大体一日平均移動距離が類推できたり、
体力や実際に想定される不具合に対して先回りして対処できたと思う。


データ
 走行距離:2300km
 走行日数 :17日 2001/9/11-28
 一日の最長移動距離:230km 2001/9/17
 一日平均移動距離:135km/day