潜龍鍼師

WEBから鍼灸へ変えた話

ラオスでバス事故

ラオスでバス横転事故に遭った。


まあ人生長くなるといろんなことが起きるもので、
いろんな経験をする。去年の赤痢に引き続きって感じ。
なかなかオチがついて、ネタには事欠かない。


場所はラオスの南部のパクセからさらに南のチャンパサックに行く途中だった。
バスは11時に出る予定だったが、人が集まらないために12時に繰り下げられた。
待っている時に同じバスに乗る予定の日本人と会い、待っている間飯を食いに行った。
この時、彼とこの先結構長くいることになるとは夢にも思わなかった。

飯を食って戻ってくると、乗る人が相当集まっていて、こんなのに乗れるんだろうかと言う感じだった。
これでもかと言うぐらいに過積載。屋根の上にもぼんぼん荷物を載せるし、
狭い3列の乗り合いバスのシートは全員ぎちぎちに詰めても人が乗り切らず、
後ろの一段低いとこにも4人ぐらい立っている。

印象的だったのが、バスの運転手の面がネプチューンの名倉にそっくりだった。


そんなこんなで、バスはチェンパサックに向けて、やっとこさっとこ走り出した。
自分は隣のタイ人と英語で話し始めた。
「I love you!!」ってラオ語でどういうの?とか、かわいいねーは?とか。
回りに女の子がいてくすくす笑っているのを横目でみながら、
旅のこういう空気を楽しんでいた。


と、突然バスが揺れだした。なんだなんだ?
1回2回左右に振られる。その振りがどんどん大きくなる。
5回目ぐらいで、これはマジでやばい!倒れるー!


画像はイメージっす。
画像は事実に近しきイメージっす。ていうか画像撮っている余裕なんてなかった。













ガッシャーン!!!と同時にキャーっという叫び声がバス内に響く。
さっきの轟音とはうって変わり、静まり返った。
一体何が起きたんだ?
、何とか我に返ってとにかく自分の精神を落ち着けようとする。
自分の体に異常ははないだろうか。可動するか?骨は?
心臓がバクバクいって、むしろ痛みを感じない。
完全に動物的な臨戦態勢になっている。

おそらく数秒しかたっていないと思うが、
赤ちゃんや女の人の泣き声が聞こえてきた。

自分は進行方向に向かって左側に座っていた。
そして、左側に倒れたから、右側にいたおばちゃんが降ってきた。
そして、人の塊に埋もれた。
体が動く事を確認すると、反射的に倒れたバスの上によじ登っていた。
おそらく、バスがさらに倒れたり、火災発生などの2次災害を避けるために、
体が勝手に動いたものと思われる。

バスから降りる時に、どうやら体の左側全般的に動きが悪い事を始めて確認した。
乗っていた人はみんな地べたにうずくまって呆然としている。
血を流している人も結構いる。
元気な人は悲痛な感じであーだこーだ言っている。
おそらく名倉似のアホドライバーに文句たれているんだろう。


乗り合わせている日本人がうずくまって痛そうにしているのを見つけた。
どうやら腕が動かないらしい。脱臼みたいだ。にしても痛そう。

数分もたたないうちに、すぐにトラックがやって来た。
病院に連れて行くからすぐに乗れと。警察ではない。近所の誰かみたいだ。

こういう時には、こういう国の人の連携と言うのをすごく感じる。
自発的に動かねば、誰も助けてくれない未整備の社会だからというのもある。



そのトラックがまた飛ばす飛ばす。これまた豪快なスピードで。
確かに急を要しているというのもあるけど。
しかし、乗り合わせている日本人が脱臼している右腕が振動して痛がっている。
また、こんなスピードでまた横転したら今度は命がない。
そう思い、slow!!slow!!と力いっぱい叫んだ。
当然運転手には届いていないし、英語を理解すらしていない。
隣のラオ人がラオ語にで○△?って言い出した。するとトラックは減速した。


元々出発したパクセーに戻ってきた。
そこしか病院はないらしい。南部では一番大きな町だけあって、
施設としてもそれなりに大きい。運悪くこの日は日曜で医者がいなかったので、
駆けつけてくれるまでに30分とか時間を要した。


運ばれた人達におそらく重症の人はいなかったと思う。悪くて骨折。
でも額や頭から流血している人もいるから見た目は結構ひどく見える。
それでも意識不明とかはいないし、うめいているような人もいなかったのは幸運だった。


ラオスの医療は適当である。本当に重症な人で外国人ならば即座にタイに輸送されるらしい。
じゃ現地人はというと適当な処置だけで済まされてしまうとか。
また処置のための金がないというのもある。
レントゲンを撮っただけで35000kip(¥420)ぐらいする。
この金額は外国人の一泊の宿泊料である。現地人からしたら法外な額であろう。


自分の場合、外から見て特に問題なく見られなかったから、
何も処置してもらえなかった。
打ちつけた左側全体が、時間が経てば経つほど痛みが増してくるから、
湿布みたいなものを要求したら、タイガーバームを塗っておけと言われた。
このレベルではむしろ処置をしてもらった方が怪しい。
誰かに聞いた話では、ラオスで目薬を差したら失明したとか。怖いわー


乗り合わせていた日本人の人が脱臼していたから、肩を入れる時は結構大変だった。
始めに部分麻酔をかけて、それでダメなら全身麻酔でやろうと。
でもラオ人は強いから麻酔なんかなしでやるよと医者にあおられて、
彼も部分麻酔で肩を入れる事を決意した。
医者が2人がかりで"せーの"って入れたら、ぎゃーって悲痛な叫び声を上げていた。


そういうやり取りを英語でしていたが、彼は英語が分からなかったので全てその場にいて翻訳した。
事故がおきてから3時間ぐらい経過していたが、左肩、左腰、左足が結構痛くなってきていてそれなりにしんどかった。
レントゲン室とか処置室とか清算とか、ぐるぐるあちこちたらい回されるんだけど、
思うように動けず、あちこちがきしむように痛む。
まあそれでも英語はやっておいてよかったと思った。
例えば麻酔(anesthesia)という単語とかでも
記憶の片隅に引っかかっていて、何のことなのか理解できた。
こんなラオスの辺境の地でもやはり意思疎通は英語である。


たまたま現地の病院で働いていたJICAから派遣された日本人の看護婦さんにそういう話を聞いた。
彼女から聞いた話では、数ヶ月前に起きたバス事故では18人が死んだらしい。
それを聞いて背筋が凍った。と同時に生きているということは偶然でありラッキーだとも思った。


パクセーには4日ぐらい滞在した。その間、日本人の彼と一緒に滞在した。
自分は歩いて外に出るのが困難だから飯を買ってきてもらった。
彼は英語が話せないから、自分が付き添いで病院へ行って(byトゥクトゥク)、
彼の保険関係の書類作成とかの翻訳をした。
自分は旅行保険にも入ってなかったし、まあお金もらえたとしても数千円の話だし。
まあそんな感じで互いに補完していた。お互い相手がいなかったらさらに困難なことになっていただろう。


またタイミングは悪いことに、ラオスの滞在期間がもうすぐ2週間になろうとしていた。
それを超えると不法滞在となる。日本大使館に事故の旨を伝えて、
なんとか臨時でVISAを発行してもらえないか問い合わせたら、
不法滞在しても罰金を払えば出国できるとの回答だった。
一体どんな事が業務内容なんだろうかと疑問に思った。
とにかくなんとか日増しに回復傾向にある体を鞭打って出国するしかない。
と言っても、パクセーからタイの国境まではせいぜい2時間ぐらい。
そこからバンコクまでは13時間ぐらい。


移動中、最悪だったのが、腹がなぜか下痢ってトイレ駆け込んだはいいが、
和式トイレが基本だから、足を曲げると激痛に襲われる。
そんなのお構いなく下痢はやってくる。バスもそんなに待ってくれない。
もたもたしていると置いて行かれそうになる。
とにかく何でこんなに追い詰められているかわからんが、
我慢、忍耐、気合としかいいようがなかった。去年の赤痢を思い出す。


バンコクに戻ってきたら、まあ体も大分楽になってきて、
なんとか階段上がり降りもできる感じになってきた。
カオサンロードで一番楽なのが、飯。30秒歩けば屋台がある。
そんな感じで一週間すでに予約した航空券を待ってなんとか帰ってきた。


まー、いろいろあるもんですねー。


この旅の画像もUPしたんでどうぞ。

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