坐禅修行で得られたこと
7月下旬の島根に行く直前に、4日だけ京都の嵐山の更に西にあるお寺で、
座禅修行をすることにした。坐禅に対する動機は、一つ前の記事で書いた。
0. webで予約
このお寺は自由に日程が組めるのが特徴で、そこが決めてだった。
1. 作法
心のあり方は姿勢にでる。逆に、姿勢を正すと、心は正しい方へ行く。
副次的にだが、自身が正しい姿勢を心がけていると、正しくない人の姿勢がよく目につくようになってくる。これは修行を終えた日常でもだ。電車に乗っていると、ありえない姿勢や表情の人がかなりいることに気がつく。どういう心のあり方をしていると、あのような苦悶や猜疑心に満ちたものになるんだろうか。このことは鍼灸の治療をしていく中でも、将来とても助けになると思う。
朝と晩の食事の時は厳しく作法を守らねばならないので、落ち着いて食べられなかった。むしろ食べる量が半減したが、思ったより空腹でどうにもならないということもなかった。普段の生活は食べすぎなんだろう。そもそも食事作法なんて、いままで親になんとなく言われていただけで、ちゃんと教わったことなんてなかった。
2. 生活
これも作法の一種だと思うが、夜早く寝て、朝早く日の出とともに起きるというのは、東洋医学でも理にかなっていて、足りない陽気を受けるのには最適だ。何千年もそうやって人間は生きてきた。
3. 仲間
ここに来ている人は結構年齢層が思ったより若かった。
一番下は、16歳ぐらいからだったが、
動機づけは大体3パターン
1. 親や会社からの勧め
2. 自分の節目の整理(転職など)
3. 病気や人間関係などの悩み
そして、結構長く滞在する人がいた。半分以上の人が一週間以上の滞在だったと思う。中には、夏休みの全て40日いる学生や、それ以上に3ヶ月とか半年などという人もいた。それらの人の話を聞いていると、自分の悩みなんて、大したものではないのではないかと思えてきた。
4. 自然
作務をすることで、人間も自然の一部であることを認識する。
自然とともに生きるとは、自分自身でどうにもならない事を理解するということでもあると思う。とかく都会にいると、何でもお金でなんとかなってしまうが、本当の自然の前には、人間はなすすべがない。なので自然に合わせて生きていく事を学ぶ。都会の自分本位、お金本位という考え方は傲慢であり、限界があることに気がついていく。
5. 法話
理屈的なとこを理解する。そもそも禅の求める道は、妄想を振り払い、
思考を昇華していくという点に尽きるのではないだろうか。
人間は考える練習や、考えざるを得ない状況には追い立てられてきた。
しかし、意図して考えを止める、考えない練習はやったことがないと思う。
多くの苦しみが、この思考から来るものということにお釈迦様が悟ったことが、
世紀の大発見だった。すべて思考を止めればいいかと言うとそうでなく、
未来を創造するときは考える必要はある。止めるべきものは止めて、
必要なときは考えるという切り替えは当然必要かと。
6. 坐禅
法話での理屈を自分のものにするために、実践する。
ただひたすらに、一瞬一瞬を精一杯生きる。ここに尽きるんだと思う。
坐禅が集中力が必要なんて、思いもよらなかった。
その集中力はどこに使うかと言うと、
1. 微動だにしないように、姿勢を維持する。
2. 思考を停止というか、断ち切っていく。
3. 深い呼吸をしているという点にのみ意識を集中させる。
これをすることで、深い瞑想状態に入っていく。
自分の感じた中では、視界はフィルムのネガを反転させたように色がひっくり返って、周り全体がぼわーっと見えているような感じがした。
思考は寝ているようだが、意識ははっきりとしていて、この世にいながら、この世にあらずといったような不思議な感覚になる、瞑界を想うような感じ。
みんなの話題の中心は、組んだ足が痛いこと。
本来、この形は長時間姿勢を維持するのに最適らしいのだが、そこへ至るまでは、もう少し時間が必要みたいだ。
7. まとめ
とにかく、4日程度修行をしたとこで、日常に取り入れて行かないと、全く意味がない。そして、またいつかまとまった時間ができたら修行に来ようと思う。
また、他のお寺ではどんな感じなのか知りたいとも思った。探すと結構京都中心に、毎週開催しているお寺もあるので。
8. 効果
1. 考えを止める
2. いま一瞬に集中する
3. それを積み上げていくことで、自身で認められる人生となる