潜龍鍼師

WEBから鍼灸へ変えた話

Get in touch with

家を引っ越した。

今まではロンドンの中心から一時間かかるちょっと離れたとこにいたが、

そもそも場所的に何でそこを選んだかというと、
東京だったら一時間なんてざらだし、ちょっと郊外の方が落ち着いた環境じゃないかなと。
もう一つの理由は、最初の2ヶ月は壁の修理をするかわりに、一週間£25pwという契約だったから。
まあこれは前にも言ったけど、WEBサイト構築に取って代わった。


12月上旬に移って、一冬を越して夏を迎え、9ヶ月が早くも過ぎていた。


最後自分が家を離れる時、どんな感じかわからんかったけど、イメージしていたのは
誰か居たら適当に握手でもして「じゃ!」って感じだと思っていた。

なんでそう思っていたかと言うとこっちの人って、
どうも会話や主張をとても重んじるけど、
同じ建物に居るかどうかはそこまで意識していないみたいだったから。
だから、また世の中のどっかで会ったらHow are you?で始めるのかなと。
毎日が一期一会みたいなそんな感じ。


しかし実際にはそうじゃなくて、わざわざ待っていてくれて、
みんなでケーキ食ったりワイン飲んで、キャロルなんて手紙みたいのをくれた。
(実際にはその手紙ごちゃごちゃ写真なんか撮っている際にどっかに紛れて忘れてきたんだけど。こっちに郵送してくれるようメールで催促済み。)
最後はハグなんかして。


印象に残った言葉は"Get in touch with us"
文字どおり訳すと、"連絡してきてね"だけど、もう少しニュアンスが異なる。
"お互いいつまでもつながっていようね"というイメージを強く受けた。
普段こんな単語使わないし。通常の生活で連絡といえばcallだかmailだか。
言語は感情と記憶に強く関わっているのをすごく感じる。
おそらくこの単語を聞く度に、この時を思い出すんだろう。


パームという隣の部屋に住んでいた子がわざわざ駅まで送ってくれた。
彼女はアイリッシュで都会育ちではない。
だから最後は駅まで送るとか、そういう習慣があるんだと思う。
で、その途中に話した内容が、
「こっちに来てなかなか友達作るの難しいんだよね。だから時間があったらいつでも電話して、飲みでも行こう」と。
それを聞いた時、えーって思った。だってそんなに親しいとは思っていなかった。
確かに前に話した時に聞いたのは、
「4月にこっちに来てからナーバスなんだよね。だって、なかなか友達ができないから」って言っていたのを思い出した。
彼女たちアイリッシュアイルランド語の方が下手なぐらいほとんど英語で生活している。ということは、英語という言語が問題ではなく、別な要素だということ。
でも、その時やっと彼女が思っていたことを理解した。



この時、強い後悔を感じた。
もっと素直に言いたいことを言っておけばよかった。
話したければ話しておけばよかった。
途中、どうせ聞いてもわかんねーよと思って聞き流していた会話もある。
言語は問題かもしれないが、それに割って入ってでも内容を理解して、
自分の言いたいことを伝えると言うことはとても重要なことだと強く認識した。
ここに確かに自分は存在して、意思を伝える口を持っている。
なぜ言葉を発しないのか?何を恐れるのか?
空気読む力?そんなもの不要だ。


そう、彼らの文化は伝える・主張するということは常にウェルカムだ。
というか、そうしないことには始まらない。
日本人のような思いやりによる質問などの会話の展開がない。
根掘り葉掘り聞いたりすることはない。
誰かが主張し出したら、別の誰かが次に主張し始めない限り続く。
ある意味、誰かの主張を待っているのかもしれない。


理屈では理解していても、いざその場に居合わせると、投げ出しがちだった。
だって、割って入った日には完全にKYになるだろうからそれが面倒というか、
もういいやというラインがあった。

しかし、そのラインは間違っていたことに気がついた。大いなる誤解じゃないかと。
もっともっと自分の言いたいことを好きなだけ言っておけば、
もっと違った展開になっていたかもしれないのに。

そんなことをこの年ながらになって強く感情で感じた。理屈じゃない。



もともと自分の中で別に主張したくなければ別にいいや、
どうせ大して変わらないしという考えが常にあった。
しかし、今それにはむかおうとする反対の力を強く感じる。


別れるということは人を強くするのかもしれない。


                      、、、とか言ってみたりして。