潜龍鍼師

WEBから鍼灸へ変えた話

チャリ旅行記 屋久島編 その4

8日目 白谷山荘(825m) ⇒ 宮之浦岳(1936m) ⇒ 安房(0m) 徒歩45.4km


朝の5時はうっすらしらみかけていて、何とか足場が見えるぐらいだった。
歩き出しはライトをつけていたと思う。
明るいかどうかははっきりいって、2の次で一刻も早く山荘を後にしたかった。
辻峠をさくっと1時間ぐらいで超えて、小杉谷のトロッコ道に出る。
とにかく自分の移動速度は尋常でなかった。
意識の根底には、さっさと山を下りて安心してぐっすり寝たいと思っていたのだろう。
しかし、ここまで来たんだから、見るもん全部見て帰りたいという思いとで交錯していた。
確かに見た一通りは。屋久杉とか縄文杉とかウィルソン株とか。
でも、だらだらする必要はない。
途中、小走りに走っていた記憶もある。とにかく体力の限界まで追求した。
気温は標高が上がるにつれてどんどん下がっていく。
場所によっては、雪が10cmぐらい積もっていた箇所もあった。
それなりに、気温も5度とかだったんだろう。
でも、そんな運動量だと体温は自然と上がって、フリース一枚ぐらいがちょうどいい。


宮之浦岳山頂に着いたのは、午後の2時だった。
山頂ついても、視界が悪く、しかも山の山頂ってごつごつした岩ではなく、
緑の感じだったから、あんまし山頂という感じがしなかった。
おそらく、これも屋久島独自の地形によって、
頂上に密集した地形は雨雲をつくりかつそのまま保持することで、
風にさらされることなく、雨が良く降り、頂上まで水分がいきわたっているからだと思う。
普通の2000m級の山では、びゅんびゅん風にさらされて、
水もなくはげて、岩がごろごろしているのが一般的だから。


頂上に浸るのもほんの10分もいなかったと思う。
さっさと下り始めた。下る下る、もう鬼のごとく。
膝に負担をかけたくなかったので、両手もフルに使った。
花のをさっさとスルーして、淀川小屋に着いたのが、午後の6時。
でそこでおとなしく泊まって置けばいいものを、自分のいびきがおそらく迷惑だろうなと思ったのと、
さっさと低いとこに行って、安心したかったんだと思う。
淀川登山口まで行けば、バスか最悪誰か車に乗せてもらおうと思って、さらに下りだした。
一時間後に、やっと舗装道に出た時は少しほっとした。


で、バスは?車はどこ?
人っ子一人いない。もう既に暗くなっている。
道路の標識には安房まで23.5kmとなっている。
この時ほど、自分のチャリがどんだけ欲しかったか。
坂道だし、24Km程度、45分もあれば下りられる。
いや贅沢言わない、スケボーでいい。
どっかに落ちてないかなーなんて一生懸命探したが、
世界遺産の中にスケボーなんてギャグみたいに落ちているわけもなかった。


もう既に、膝はがくがく、足は筋肉痛になり出している。
しかし、若さとはバカさである。体が動く限り、限界まで追い込むというか、
活動をし続ける。ターミネーターのごとく。
いつかこの道もどっかにつながっているだろう。
そんな感じで歩みだした。
だんだんと、暗闇にも慣れてきた。たまに、サルが鳴いて自分をビビらせる。


また、不運なことに雨がぱらつき出した。
このときほど自分の選択を呪った事はない。
最悪、寝袋でアスファルトの上で寝ればいいや、
昨日の山荘よりよっほどましやねん、とか思っていたから。
雨ではそれもかなわない。


ひたすら自分の体を休ませ、じりじりと歩き、その繰り返しだった。
標高がどんどん落ちてくると、その気温の変化を肌で感じる。
頂上から下までの変化はおそらく+15度ぐらいあったと思う。とにかく天と地。
だんだんぬくくなっていくのは悪くはない、少し安心する。


結局ふもとまで、車は一台も通らなかった。
とうとう最後に安房の町の光を見た時は、生きているというのは、すごいんだなと思った。


で町に下りて、雨がどんどん強くなってくる、宿なんて空いているわけもないし、
寝られそうなベンチも見当たらない。
警察に行こうと思ったが場所がよくわからない。
そこでたまたま、ヤン車に乗ったにーちゃんに話しかけられ、
警察まで乗せて行ってくれた。こんな人もいるんだなとすこし浮かばれた。


警察でなんとか寝させてくれないかと頼み込んでみた。
そしたら、このときほどグーで殴りたかったことはない。
あなたは、こんな時間に徘徊している不審者ですよだって。
ルールの中で生きていると、もう腐ってしまうのだろう。
警察って一体何のためにあるのだろうか?その存在意義を疑ってしまう。
外は雨ジャージャー降って、何もしようがない。頭の意識も薄れてくる。
後がないとはこんなことだ。
ひたすら食い下がって、警察の体育館の軒下で寝てもいいと言われた。
多少、雨が足に降りかかるが、ずぶぬれになるよりましだ。
こうして寝たのが、深夜2時をまわっていた。


こういう経験から、苦しんでいる人間がいたら、手を差し伸べたいと思っている。
大体のケースで手を差し伸べる側にとったら、そんな多大なパワーが必要ではなく、
少しの選択でできることが多いから。
また、人を助けられない人間が本当に増えると、自分もそのままおざなりになる可能性がある。
なぜか、ここロンドンでは、冷たい人間もいるが、同様助けてくれる人間も多くいる。
その幅が広い。公共機関で人を助けているのはいつも見る、日本に比べて圧倒的に。
人を助ける時に恥ずかしいなんて感情はいらない。堂々とすればいい。
恥ずかしいと思って何もしない方が、もっと恥ずかしい。


<一日のデータ>
高低差1111mアップ 1936mダウン 
歩行距離45.4Km  白谷山荘⇒淀川登山道入口 ⇒安房
気温変化:5〜20℃
活動時間:21時間 (AM5〜AM2)


不思議なもので、こんなバカな経験こそが、記憶に鮮明に残っている。
しかし、今はやろうとしたって、もう体がついていかないだろう。
こんなコース、普通の人ではありえないし、2・3日ぐらいかけていくものなので、
よい子のみなさんは絶対に真似しないでください。
参考にもしないでください。