潜龍鍼師

WEBから鍼灸へ変えた話

チャリ旅行記 屋久島編 その4

8日目 白谷山荘(825m) ⇒ 宮之浦岳(1936m) ⇒ 安房(0m) 徒歩45.4km


朝の5時はうっすらしらみかけていて、何とか足場が見えるぐらいだった。
歩き出しはライトをつけていたと思う。
明るいかどうかははっきりいって、2の次で一刻も早く山荘を後にしたかった。
辻峠をさくっと1時間ぐらいで超えて、小杉谷のトロッコ道に出る。
とにかく自分の移動速度は尋常でなかった。
意識の根底には、さっさと山を下りて安心してぐっすり寝たいと思っていたのだろう。
しかし、ここまで来たんだから、見るもん全部見て帰りたいという思いとで交錯していた。
確かに見た一通りは。屋久杉とか縄文杉とかウィルソン株とか。
でも、だらだらする必要はない。
途中、小走りに走っていた記憶もある。とにかく体力の限界まで追求した。
気温は標高が上がるにつれてどんどん下がっていく。
場所によっては、雪が10cmぐらい積もっていた箇所もあった。
それなりに、気温も5度とかだったんだろう。
でも、そんな運動量だと体温は自然と上がって、フリース一枚ぐらいがちょうどいい。


宮之浦岳山頂に着いたのは、午後の2時だった。
山頂ついても、視界が悪く、しかも山の山頂ってごつごつした岩ではなく、
緑の感じだったから、あんまし山頂という感じがしなかった。
おそらく、これも屋久島独自の地形によって、
頂上に密集した地形は雨雲をつくりかつそのまま保持することで、
風にさらされることなく、雨が良く降り、頂上まで水分がいきわたっているからだと思う。
普通の2000m級の山では、びゅんびゅん風にさらされて、
水もなくはげて、岩がごろごろしているのが一般的だから。


頂上に浸るのもほんの10分もいなかったと思う。
さっさと下り始めた。下る下る、もう鬼のごとく。
膝に負担をかけたくなかったので、両手もフルに使った。
花のをさっさとスルーして、淀川小屋に着いたのが、午後の6時。
でそこでおとなしく泊まって置けばいいものを、自分のいびきがおそらく迷惑だろうなと思ったのと、
さっさと低いとこに行って、安心したかったんだと思う。
淀川登山口まで行けば、バスか最悪誰か車に乗せてもらおうと思って、さらに下りだした。
一時間後に、やっと舗装道に出た時は少しほっとした。


で、バスは?車はどこ?
人っ子一人いない。もう既に暗くなっている。
道路の標識には安房まで23.5kmとなっている。
この時ほど、自分のチャリがどんだけ欲しかったか。
坂道だし、24Km程度、45分もあれば下りられる。
いや贅沢言わない、スケボーでいい。
どっかに落ちてないかなーなんて一生懸命探したが、
世界遺産の中にスケボーなんてギャグみたいに落ちているわけもなかった。


もう既に、膝はがくがく、足は筋肉痛になり出している。
しかし、若さとはバカさである。体が動く限り、限界まで追い込むというか、
活動をし続ける。ターミネーターのごとく。
いつかこの道もどっかにつながっているだろう。
そんな感じで歩みだした。
だんだんと、暗闇にも慣れてきた。たまに、サルが鳴いて自分をビビらせる。


また、不運なことに雨がぱらつき出した。
このときほど自分の選択を呪った事はない。
最悪、寝袋でアスファルトの上で寝ればいいや、
昨日の山荘よりよっほどましやねん、とか思っていたから。
雨ではそれもかなわない。


ひたすら自分の体を休ませ、じりじりと歩き、その繰り返しだった。
標高がどんどん落ちてくると、その気温の変化を肌で感じる。
頂上から下までの変化はおそらく+15度ぐらいあったと思う。とにかく天と地。
だんだんぬくくなっていくのは悪くはない、少し安心する。


結局ふもとまで、車は一台も通らなかった。
とうとう最後に安房の町の光を見た時は、生きているというのは、すごいんだなと思った。


で町に下りて、雨がどんどん強くなってくる、宿なんて空いているわけもないし、
寝られそうなベンチも見当たらない。
警察に行こうと思ったが場所がよくわからない。
そこでたまたま、ヤン車に乗ったにーちゃんに話しかけられ、
警察まで乗せて行ってくれた。こんな人もいるんだなとすこし浮かばれた。


警察でなんとか寝させてくれないかと頼み込んでみた。
そしたら、このときほどグーで殴りたかったことはない。
あなたは、こんな時間に徘徊している不審者ですよだって。
ルールの中で生きていると、もう腐ってしまうのだろう。
警察って一体何のためにあるのだろうか?その存在意義を疑ってしまう。
外は雨ジャージャー降って、何もしようがない。頭の意識も薄れてくる。
後がないとはこんなことだ。
ひたすら食い下がって、警察の体育館の軒下で寝てもいいと言われた。
多少、雨が足に降りかかるが、ずぶぬれになるよりましだ。
こうして寝たのが、深夜2時をまわっていた。


こういう経験から、苦しんでいる人間がいたら、手を差し伸べたいと思っている。
大体のケースで手を差し伸べる側にとったら、そんな多大なパワーが必要ではなく、
少しの選択でできることが多いから。
また、人を助けられない人間が本当に増えると、自分もそのままおざなりになる可能性がある。
なぜか、ここロンドンでは、冷たい人間もいるが、同様助けてくれる人間も多くいる。
その幅が広い。公共機関で人を助けているのはいつも見る、日本に比べて圧倒的に。
人を助ける時に恥ずかしいなんて感情はいらない。堂々とすればいい。
恥ずかしいと思って何もしない方が、もっと恥ずかしい。


<一日のデータ>
高低差1111mアップ 1936mダウン 
歩行距離45.4Km  白谷山荘⇒淀川登山道入口 ⇒安房
気温変化:5〜20℃
活動時間:21時間 (AM5〜AM2)


不思議なもので、こんなバカな経験こそが、記憶に鮮明に残っている。
しかし、今はやろうとしたって、もう体がついていかないだろう。
こんなコース、普通の人ではありえないし、2・3日ぐらいかけていくものなので、
よい子のみなさんは絶対に真似しないでください。
参考にもしないでください。

チャリ旅行記 屋久島編 その2

4日目 鹿児島 ⇒ 屋久島(宮之浦) ⇒ 栗生 49km

朝一出ている屋久島行き"フェリー屋久2"(片道3900円)に乗った。
4時間の船旅だ。
フェリーに乗る前に外人のチャリダー2人を見た。
こんなとこにも外人がいるんだなと。
船の中には売店とか風呂もあったが、高いからやめておいた。
まあやることないからほとんどキャビンで寝ていた。
風は北西とノートに書かれている。
最近でこそ風の方向に関して気にもかけなくなってきたが、
このときはヨットにまだ乗り続けていた。
なので、常に風の方角とか強さ、地形に関して自然と意識が向いていた。

島が見えてきた。
近づくにつれて、その島が今まで見てきた普通の島とは異なっていたことで期待が膨らんだ。
なにせ、山が島からそそり立っている。
けして島がそこまで小さいというわけではない。
周囲は100Kmなので、直径は30Km
山の高さは一番高い宮之浦岳で1936mだ。
なので、この島の天候が変わりやすいし、ちょっと離れた場所では異なる天気だというのもよくわかる。
全てこの切り立った地形によるものだ。


初日からこの興味深々の山に入りたかったが、どうやら明日から天気が崩れるとの事。
なのでとりあえず、本拠地となる栗生の青少年キャンプ場を目指した。
なぜここかというと、ここがキャンプ場としていいとこらしいというのと安いから。
確か当時、500円/日とかそんな感じだった。


にしても、切り立った山がすごい。特に南斜面のモッチョム岳のあたりは圧巻。
そんな風景をしげしげと眺めながら、とろとろ走っていると、
車を止めてわざわざタンカンをくれたおねーさんがいた。
さすが田舎サイコー。


キャンプ場に着いた時には既に真っ暗で、周りが何も見えない状態。
さすがザ田舎道。


キャンプ場に着いたら、例の外人さん2人と日本人のオッサン2人が、
鍋をしていたから自分も仲間に入れてもらった。
いきなり暖かいご飯にありつけるとはなんともラッキーだった。
鍋は野菜ちゃんぽん。それとビール、最高やね。

すでに夜も更けていたので、おっちゃん達にすすめられるまま、
寝床はそのままコインランドリのプレハブで寝た。
そう、鍋はキャンプ場のコインランドリのプレハブの中でやっていたというわけ。
外はまだ春で寒いし、風が強いからねえ。


大きな地図で見る

過去の旅

今までは自分の頭の中だけだったけど、
そのうち忘れそうなのでUPしておく。

  • 自転車旅行

  屋久島(2001/2/29〜3/15)770Km  
    福岡⇒鹿児島⇒屋久島⇒種子島⇒鹿児島⇒大分⇒輪行で福岡へ帰る
  日本縦断(2001/9/12〜10/2)2300km 福岡⇒小樽
  西表島(2002/3/17〜4/1) 100Km 波照間 石垣島
  ヨーロッパ 独蘭仏西葡(2003/9/9〜28) 1000km

  中国 香港⇒広州⇒昆明⇒大理⇒チベットの東端⇒成都(2004/3)
  屋久島(2006/5/1〜6)
  インド チェンナイ⇒デリー⇒ジャイプール(2008/8/23〜9/7)

 

  • バイク

  北海道 (2005/9/19〜10/2)
    行きは東京から青森まで自走
    帰りは苫小牧からフェリーで大洗へ


屋久島と北海道については手元にB5ノートに書いた記録が残っているから、
結構詳細な事が書かれてる。
読んでいると、いろいろ忘れていることを結構思い出す。

移動手段

日本国内の移動は基本チャリを使った。
自分の体を使って動き、一番パフォーマンスを引き出せる道具だから。
それでいて、立ち止まれば歩いている人と会話することができるし、
がんばれば150km/日以上の移動距離も稼げる。
資本としては体がメイン。
それ以外の交通手段もとったが、やはり最終的にチャリで
がんばっている方が充実してて、よく記憶に残っている。

宿

国内では無人の駅で寝ることが多かった。
とにかく計画を立てて進むと言うことはできない。
その日進んだ距離次第なので、宿なんて取れないし。そんな金もない。
でも、そこら辺に転がってても、安全なのは日本ぐらいのものだと思う。
ヨーロッパ行ったときはさすがに治安が良くわからなかったので、
基本的には着いた先の町で宿を探した。

写真

今思うと、写真とっておけばよかったなと思うんだが、
その当時はそんなものに振り回されず自分の脳裏に焼き付けておこうと思っていた。
観光客がカメラばっか握り締め、写真ばっか取っている姿を見ると、一体何しに来ているんだろう?
写真を撮るんだったらプロが最高の天気の時にとった写真の方が、
いいに決まっているだろうにと思っていた。
そういった理由より、古い旅ほど、画像はほとんど残っていない。

計画性

自分の旅は大まかにどっちの方向に行きたいかだけ決めて、事前に情報を集めない、わざと。
自分の中の旅って、何も知らずに知らないとこに行って、
自分の知らない何かや誰かに出会うから面白いと思う。
また、本当にいいものだったら、現地の人が必ず教えてくれる。
現地の人と会話することも旅の一つだとも考えている。

現代は情報が多すぎて、調べればすぐ出てくる。
既に知っているのを確認しに行く旅だと面白みが半減するかも。
まあ、忙しい社会人に無計画の旅はなかなかできないんだろうが。


他の国に行けば文化の違いなどで当然刺激的だ。
しかし、旅として一番印象に残っているのは、
初めての一人旅であった屋久島に行ったときだ。
何をするにしても初めてで、新鮮で、ドキドキしていた。


とにかく自分は旅行ではなく、"旅"がしたかった。
今振り返ると、体力、気力、目指すべき目標がすべてそろっていて、
本当に贅沢な時間だったと思う。

チャリ旅行記 屋久島編 その1

自分は旅行が好きだ。
子供の頃は家族で旅行によく行っていた。
おそらくその影響で、遠く知らないところに行くという行為自体が自分を高揚させる。


自分の移動手段はチャリだ。
なんで、そんな疲れることをするの?って人によく聞かれる。
それはもう男のロマンとしか答えようがない。
そんなタテマエはどうでもいいとして、まあ実のとこは、金が浮くというのもあるけど、
自分の足と体があれば、どこへでも移動が出来るという
一種の独立精神とか自信みたいなもの。


高校の頃に友達と二人で、名古屋から琵琶湖へ日帰りで往復したことがある。
ざっと150Km やれば出来るものだなとそのとき思った。
また ある日、高校の図書館でありえない本を手にした。世界をチャリで回っている人の話。
世の中広いもので、こんなきちがいみたいな人がいるものなんだとも思った。


知るということは、妄想をより現実世界へと近づけてくれる。
その頃から、どんだけ遠くへいけるだろうかと本気で考えるようになった。




時は過ぎて、高校の頃から6年後。
ちょうどヨット部を引退してやっと時間ができた春、
兼ねてから妄想していた、自転車旅行を現実なものとすることにした。


しかし、初めてのことで全くどうしたものかよくわからない。
とりあえず自分の相棒となる自転車は念入りに整備した。
なにせこのチャリ粗大ごみで拾ったものだ。
確か自分が大学1年生の時にまだ粗大ごみの日があった。
その戦利品である。
GETした時から既に4年は過ぎているだろうか、
それでも押入れに保存していたからまだまだ使えそうだ。
ちなみにこの自転車 2009年現在 ロンドンに持ってきていて、いまだ現役である。
拾ったときがおそらく'97なので、既に12年、
日本のあっちこっちとヨーロッパをともにしている。
かわいそうな自転車、せっかくお役ごめんで退役するはずのとこを、
自分に目をつけられたばっかりに、さんざんこき使われるとは夢にも思っていなかっただろう。
ホント最近身の回りのものが10年以上の付き合いのものが多くなってきた。
フリースにしろ、バッグにしろ。裁縫セットなんて小学校で使っていたものだ。
まあそれだけ長く使っているものには信頼を置いているし、
特徴を熟知しているというメリットがある。


1日目 福岡 ⇒ 八代 150Km

さて、手元の記録として残っているノートを眺めてみると、
なになに、2001/2/28 初日9時40分出発となっている。
記憶とは不思議なものだ。8年前のことなのに良く覚えている。
この日の天気はそれなりに晴れていて、快調に進んでいた。
峠の上りではかなり汗ばんでいてTシャツ一枚だった。
最終的に力尽きたのが、八代。確か夜の9時に着いた。
福岡から出発したので、150km走ったことになる。
一番問題だったのがどこに寝るか?
とりあえず河川敷の公園でテントを広げて寝てみたが、
電車の音と風による草がざわざわいう音で気が気ではない。
あるいは時折犬の散歩らしき人の足音がザッザと聞こえてくる。
疲れているにも関わらず、ものすごくどきどきしていた。
そんなんでうっすら寝たり、意識が戻ってきたりを繰り返していた。
外はまだ薄暗い。明け方ごろなんかぽつぽつと音がする。
外を見てみると、がーん初日から雨かよ。最悪だ。

大きな地図で見る

2日目 八代 ⇒ 川内(せんだいせんない)112km

多少疲れていたが、仕方がないテントをさっさとたたんで出発した。
これ以上この場所で安眠できるはずもない。
雨がぱらぱらしている、じゃーじゃーではないのが救いだ。
どんどん正面からの風が強くなってくる。
たしか北に低気圧があって、南からの湿った風が吸い込まれているようだった。
結局午前中に進んだのは15km。昨日とは雲泥の差だ。
まずいことはさらに重なる。タイヤがパンクしてしまった。
いや大丈夫だ、ちゃんとスペアのタイヤは2本も持っているじゃないか。
しかし、チューブラタイプはママチャリタイプと違って、セメントでリムにくっつけるタイプだ。
普通なら一日ぐらいは乾かす。そういえばツールドフランスとかどーやってんだ?
とか思ったが、まあこの際仕方がない。そのままタイヤ交換して走り出した。
まあ、なんとか調子はいいみたいだ。


日が落ちて、あたりが薄暗くなってくる。
道の駅 阿久根で休んだとき、どっかの社長風で脂の乗ったおっさんに話しかけられた。
そばにはきれいで若いおねーさんがいた。一体どういう関係なんだろうか?
と思ったが、コーヒーをおごってもらった手前、おかしな事は言えない。
鹿児島から屋久島へのフェリーの話とかこのあたりの宿について話した。
ああこういう旅っていいなーと初めて思った。自分の中ではこれは旅行ではなかった。
自分の足一つでここまでたどり着いて、地元の人に暖かくサポートしてもらえている。
などとたった2日移動しただけで、ジーンと心に染み入っていた。
で、結論としては警察にいって、宿を紹介してもらえということになった。


ここからさらに30kmほど南にいったとこに川内とかいて"せんだい"と呼ばれる町に来た。
既に時刻は21時を回っている。警察にいって聞いた宿に行ってみた。
なんとか反応があり、泊めてもらえることになった。(4000円/人・泊)
まあそもそも、テントに泊まればいいのだが、
雨の中さらには昨日の夜のショックで、さすがに今日は外で寝る気になれなかった。
でこの宿、なんでか釣りバカの写真が廊下にいっぱい飾られているなと思って
なんでと聞いてみたら、どうやらこの宿、釣りバカ9の撮影に使われた宿だとか。
釣りバカ9は以前に見たことがある。確かにいわれてみるとそんな感じがする。
残念なことに実際に使われたのは隣の部屋だったのだが。
偶然だけど、なんか旅っぽい展開だなと一人ほくそえんでいた。
ぬれた服を乾かすことが出来て、この日は満足に布団で爆睡した。
この日の走行距離は112Km

大きな地図で見る

3日目 川内 ⇒ 鹿児島 50km

さて目標の鹿児島までわずか50kmと迫っている。
このくらいなら歩いたっていけるねん。よゆーと思っていたのは、間違いだった。
途中から膝が痛くなり出した。
体は全ての原動力、たった一つ欠けても前に進めなくなる。
改めてこの事実を思い知らされる。
仕方がないから30分ぐらいそこで座っていた。
そしたら、まあなんとか回復したからそーっとこいでいった。
一瞬、串木野で太陽の晴れ間を見たときにはものすごく幸福を感じた。


人間って、最悪な状況を経験すればするほど、普通の状況に幸福を感じるものなんかなと。
幸福をあまり感じれない人は、普通の状況をどん底に落とすといいのかもしれない。
普通は落とすことは怖くてなかなか人間できないものなんだけど。
とにかく、落差があった時になんらかのおおきな感情を抱くようにできているんだろう。
当然あがる方がいい。でも常にあがるはずもない。
だから下げ方を覚えることも重要なスキルと自分は考えている。


バイクのにーちゃんがすれ違いざまに、合図を一瞬送ってくる。
初めはなんだなんだと戸惑っていたが、そういう人が一日のうちで何人もいる。
要するに自転車で旅している人間にはそういう習慣があるらしい。
彼らも昔はチャリチャリやっていたんだろう。


そんなこんなで、とうとう国道3号線の終着点に来た。
起点の門司からは390kmらしい。
福岡を出たときに二桁で、常に道の脇をカウントしていた。
それが今終着である。福岡からまっすぐ一本の道でつながっていることを、この時実感した。
ちょっと感動。


この日はフェリー場で寝袋を使って寝ることにした。
なにせ、他の人らもごろごろそこら辺で転がっているし。
ここのフェリー場は24時間空いている。
桜島と鹿児島を1時間に1本か2本ぐらいのペースでフェリーを出しているからだ。
明日の朝、他の島へ出港するフェリーを待ったり、
島から帰ってきて明日の朝、北上する人とのターミナルというか寝床にもなっている。


他の学生らしき人らがわらわらどこからともなく集まってきて話し出す。
屋久島から帰って来たという人からいろいろ聞いた。
荷物を枕にして目を閉じた。
屋久島への妄想は留まるとこを知らないが、体は正直で既に夢の中だった。

大きな地図で見る

自分を動かす

英語に関する勉強の仕方の記事が、よくはてぶの人気エントリーとかで上がってくる。
http://monojin.com/study-portal-iknow-smartfm/


びっくりするぐらいみんな興味があるんだなと。
で、みんなのタグは学習とか勉強とかが圧倒的に多い。
そういうタグを見てて、なんとなく思うのが、英語はやっておいたほうがいいんだろうなー、
でも面倒だなー、長続きしないなーという人がいるんじゃないかなということ。自分もそうだったし。
大学受験を終えた後、英語なんてほとんど触れる機会はなかった。
まー、自分には関係ないやぐらいにしか考えていなかった。
TOEIC対策の本を一冊ぐらい買ったけど、すぐに投げ出した。
点を稼いで何がしたいのとささやくもう一人の自分がいた。


6年ぐらい前になぜか無謀にも、初めての海外をチャリで旅行した。
なんでいきなりそんなことをしたかというと、まあ日本は大まかに回ったから行くとこが
なくなったかなと言う感じ。


で、この旅を通してわかったのは、自分の知らないところで世界は広がっていて、
英語が話せると、そこにいる人と意思疎通ができそうだと強く思った。


そこら辺から少しずつ英語の必要性を意識し始めた。
でも、がりがり勉強したくはなかった。日本語をそうやって勉強した記憶がないから。
また、おそらく数週間はそれで乗り切れるかもしれないが、数年単位で考えると、
長続きしないことは目に見えていたから。
じゃどうしたか?


そもそもの言語を話す過程を順に考えてみると、こうだと思う。
1.伝えたい相手がいる
2.伝えたい内容がある
3.表現のスキルが必要となる


なのでそもそも英語圏の人に知り合いがいないことが問題だと思った。
手始めに、個人的に英語を教えてくれる人(フィリピン人で日本語は話せない)のとこに週一で通ってみた。
でも、圧倒的に量が足りないと思って、もっと身近な環境に組み込みたかったから、外人とルームシェアをしてみた。
今は外国に来ている。


というように、環境を作ってやることで、
自分の意欲を掻き立てるということがまずは先決だと思う。

ツールから入って、きちんと勉強できる人はそれでいいと思う、効率がいいし。

しかし、自分のように絶対的な理由がないと動かない人間には、
こういう環境を作って動機付けをしてやると自然と体が動く。
言語は相手あっての双方向のもので、コミュニケーションする相手が
いると圧倒的に動機付けされる。


日本にいるとその強力さが全くわからないが、
外に行くと嫌と言うほど思い知らされる。
というか話せない方がおかしいのではないかとも思えてくる。


インド行ったときなんて、3歳ぐらいのがきんちょが英語をぽんぽん話しているのを見ると、
彼らが世界のどこに行っても生きていけるのがよくわかる。

中国のチベットへ行ったときでさえ、
外国人のバックパッカーが集まってコミュニケーションするのはやはり英語。
自分なんて、酔っ払ったときに"Mother fucker!!"とか言われたが、
当時その意味もわからなかった。


環境を作るための方法としては、
外国へ行ければそれに越したことはないが、日本の中だって、外人の集まるとこはあるだろうし、
Skypeで知り合いをつくってもいいと思う。

当然、海外旅行に行くと言うのも、手っ取り早く刺激を受ける方法の一つである。
だが、日本人同士で固まっていては、刺激を受けると言う意味では無意味だ。


まあでも実際には自分は日本に住んでいるときに、
外人の集まっているとこに行くような度胸はなかったから、
自宅留学(外人とルームシェア)という方法をとったけど。


自分が動く順序としては、

刺激を受ける

興味がわく

それに近づくために時間とパワーをかけるようになる。(この段階で初めて道具が必要になる)

かけた時間とパワーに比例して、理解が深まり、
新しい情報や人との出会いでまた刺激を受ける


一番初めのその刺激をどこかに受けに行くというとこは、
リスクを回避できる知識と少しの勇気が必要かもしれない。



人を動かす 新装版この本ではいろんな例を挙げて、動機付けに関して書かれている。
あまりに有名なので知っている人もいると思うけど。
この本中での「他人の中に強い欲望を喚起させる」という印象的な部分の他人を、自分に置き換えてもらうといいんじゃないだろうか。



PS:
語学のスキルと同時に、そもそも母国語でも話す内容についてのスキルが必要だとすごく思う。
イタリア人とかスペインとか常に人の笑いをとることに貪欲。日本で言えば関西人。
そんだけ主張したいことがあれば、英語スキルは伸びやすいだろうね。


あと、イチローすごいっすね。
最後のヒットを打つと背筋が凍るぐらいテンションがあがる。
なんかのドラマをみていたかのようだった。

サインについての考え方

いままでサインについて、あまり考えてこなかった。


基本的にサインはこっちの文化である。
日本にいるとそれに対する考え方についての議論があまりない。


サインを使うようになったのは、カードを使うようになってからだろうか。
それ以外に、何かしらの登録をするようなときにも書いたと思う。

で、その都度自分の文字を漢字で単に書いていただけ。
まあ筆圧とかで識別はできるんだろうが。
あまり気にしていなかった。


だが、今日の授業でサインはその人の人となりを表すという内容を読んで、
あれ、なんだそれは?と疑問に思った。
サインって自分の名前を単に書くだけじゃないのか?
そんな人となりもへたくそもあらへんだろうに。


でも、外人のサインのイメージでは、なんかかっこつけて、ささっさと書くイメージが確かにある。
そして、パスポートのサインを書くときも、英語で書くのか?日本語?とか周りの人に聞いたこともあった。
そうすると決まって、「あなた次第ですよ、ははは。」と笑われた。。。???
いつもようわからんなーと首をかしげていた。


で最終的に理解したこととして、サインというのは、自分で生み出すものだということだ。
自分で書き残したものと自分が認識できれば、ドラえもんの絵を書いたっていいわけだ。
自分でクリエイトしたものだからこそ、自分らしさがでてくるし、特徴の判別対象となる。

逆に普通に文字を書いている方が危険だと思う。誰かに真似できる可能性をあげてしまう。
なので、こっちの人はみんな自分自身のサインをちゃんと持っている。


さて、自分はどういったサインにしようかなー。
漢字を使おうか?英語にしようか?ミックスでもいいし、イニシャルだけでもいい。
順番も考える必要がある。
なかなかクリエイティブな脳が刺激されるところだ。


他の人が書いているのを見てどんな要素が必要かな考えると、
・書きやすい
・自分が書いたことが認識できる。
・他の人が真似しにくい
・自分だけは特徴を捉えていて、毎回同じように書ける
・デザインのよさ


さてみんなはどんなサインを創造するんでしょうか?


<ちなみに今日の授業で読んだサイン判別(graphology)>
・右上がりの人はポジティブ
・右下がりの人はネガティブ
・フラットな人は安定していて、現状に満足している人。

・頭にファーストネームを持ってきている人は、子供時代に自信を得て、今の生活でプライベートが主になっている人
・頭にファミリーネームを持ってきている人は、パブリックな部分が重要になっている人。
ファーストネームとファミリーネームの間が空いている人は、公私を分けたい人
・イニシャルを使っている人はその部分を秘密にしたい人

・文字をはっきり書く人は、はっきりとした考えを持って、主張する人
・文字がぼやけている人は、穏便で正面からの衝突は避ける人

・サイン全体の文字が標準の文字より大きい人は、自信を持っていて、自分の意見をはっきりと持っている人
・最初の文字が大きい人は、自分をより大きく見せたい人
・サイン全体の文字が小さい人は、自分に自信がなく、不安にかられている人

とある日曜日

今日は天気がよかったから、チャリで外に出かけた。
家に着くちょっと前のこと。
チャリを押している人がいた。
案の定話しかけられ、ポンプを持っていないかと聞かれた。
今持っていないが、5分歩いた先の家にあるといったら、
じゃ行こうと。
その間少し話したとこ、彼(Robert)は、ブラジル出身で、
今は語学の先生をしている。
イタリア語とフランス語とスペイン語と当然英語が話せるらしい。
うーむ、言語オタクなんだろうか。

で自分は今学生で、このあたりに無料もしくは安い英語学校知らない?
と聞いたが、「わかんねー。」とのこと。

そうこうしているうちに、うちに着いて、ポンプ持ってきて、
空気を入れたら、いたく喜んでいた。


おめーはいいやつだ。
もし、学校についてのいい情報を手に入れたら、
このうちのポストに手紙を入れておくよ!


といって別れた。
この高度なネット社会のご時世に、ポストに直接投函とか、逆の発想がいいねー。


もう一つの話。

Sainsbury(大型チェーンストア)に行って、バジルを探していたら、
いいものを見つけた。
植木の葉っぱをむしって食べるみたい。
確かに新鮮だし、そのまま育ててもいいし。
値段も200〜300円ぐらいのものだから別に高くもない。
あとこれって、作る側も楽なんじゃないかと思う。
そのまま植木を出荷しているだけだから。
まあイギリス人の発想ぽいね。手抜きと言うか、大胆と言うか。
でも、こういう考えは日本でもぜひ取り入れてほしい。
パッケージの包装とかやりすぎだし。



PS:
どーでもいいが、朝一いつも瞬間的に停電するのはいったいなんだろうか?
おかげでこの文章は一度ふっとんだ。
はてなgmailみたいな、自動セーブをつけてほしい。