潜龍鍼師

WEBから鍼灸へ変えた話

チャリ旅行記 日本縦断編 その2

2001/9/14 斐川 => 鳥取 158km

朝一からケツが痛い。体力は戻っていたが、痛くて座ってこぐのは難しくて、
もどかしかった。ほか弁のビーフ100円引きはなかった。残念。。
やっぱ地域限定なわけね。
そんでもって、雨もぱらぱらしてきた。昼ぐらいにローソンの前でうとうとと寝ていた
道は山口県よりもずーっと平坦で走り易いはずなのに。
途中またチャリダーに会った。これから向かう坂にやられたらしい。
道の駅:赤碕ポートにて。
にしても今日は疲れた。体はガタガタ。相当眠いし。
コインランドリーを使ってみたが、金の浪費だった。
乾燥機使ったのに、ぜんぜん乾燥されてない。
しかし、飯はうまかった。というか食いすぎ。
サイドミラーつけてみた。バッチり後ろが丸見え、こりゃえーわ。


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2001/9/15 鳥取 => 丹後大宮 169km

今日はいい日だった。一日中雨だったけど、朝一コンビニのトイレに駆け込んだ。
ぎりセーフ。鳥取砂丘はゲレンデみたいなでかさだ。初めて日本最大の砂丘を見た。
朝から雨がじゃーじゃー降っていて、砂丘に川ができていく様子がわかる。
あたかもミニチュア版の大自然を見ているみたい。
あまりに雨が土砂降りだったので豊岡で銭湯に入った。
その名も京極湯。いかにも下町の銭湯という感じ。
こういう時にああ旅だなと感じる。
ガラガラっと引き戸を開けると、牛乳瓶の底みたいなメガネをした番頭がいた。
中に入ると、ライオンの口からどぼどぼと熱いお湯が流れ出てきている。
はぁ〜極楽じゃ〜。たまらん。
そうこうしているうちにヤクザ登場。親分とその子分2人。
もんもんガッツししょって、いかにもそっち系ですわっちゅう物言い。
いったいどこまでべたべたなんだか。フルコースかよ、俺はもう満腹だってーの。
古きよき風情ある日本の文化はぜひ維持していってほしい。
世界のどこを探してもこういう雰囲気のとこはまずないなー。


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2001/9/16 丹後大宮 => 大飯 73km

朝置きてバックがない!
置き引き初体験!!
しかし、とられたのはバック2つのうちの1つ。
しかも中身は、汗にまみれた下着類。ざまーミロだヴォーケとか思ったが、
実は精神的に結構ショック。誰かが誰かのモノを掠め取るなんて。
そもそも昨日の夜を振り返ってみると、
そういえば、駅に着いたときにベンチのとこにヤンキーカップルがいた。
でも、まあいいかと思ってちょっと彼らと話し始めたら、
彼の武勇伝※をたっぷりと聞かされて、その後やっと彼らは去っていった。
寝たときに下着の入ったバッグはちょっと離れたとこにおいてあった。
だから、ヤンキーが戻ってきて盗って行ったか、
他の誰かが深夜に盗っていったか。
ま、いずれにせよ日本でも置き引きぐらい簡単に起きるみたい。


結局この日は、置き引きのダメージでやる気がまったく起きず、
宮津湾でヨット(470とスナイプ)が浮かんでいたから、
自然と眺めていた。いや正確には、
どっちが伸びるかとか風はどっちがいいかな?とか読んでいたんだろう。
そうやってヨットの事を考えていると自然と心が落ち着いてくる。
ホテルみたいな建物に田舎の銭湯があったので、どっかりと風呂に浸かった。
この日はどうも癒される日のようだ。


※彼は三兄弟の末っ子だが一番の暴れん坊。
親父は親父でまたヤクザみたいな感じ。
そんでその親父から引き継いだ血塗られた木刀みたいなものがあって、
それで何十人も相手にぼこぼこにしたとかそんなような話。



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2001/9/17 大飯 => 横山 230km

この日は前日にやる気がなかった分だけ、反動でよくこいだと思う。
そして平坦な道が多かったのも後押ししている。
時間さえかければ、どんだけでも前に進んでいける気がした。
だからとにかく時間をかせいだ。
AM7:00〜AM1:00 18時間こいだ。
おそらく自分の人生でも最長になるかもしれない。
一日でやるんじゃなくて、続いている旅の中での記録だから、
それなりに自分でも満足かも。
この日衝撃だったことは、トンネルで結構下りがきつく、
後ろからトレーラーが迫ってくる。
地面には金属の側溝が。やばっと思った瞬間こけた。
この瞬間マジ死んだと思った。
次に来るトラックの衝撃をイメージした。
つぶれるとはどんな感じだろうかとも。瞬時にイメージが駆け抜けた。
しかし来なかった。トラックは避けていった。
こうして自分は今も生きている。



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2001/9/18 横山 => 市振 100Km

今日は2回もパンクった。
コンスタントにがんがん走れないとこがまた旅っぽい。
一回目のパンクを直したが、最後空気入れを抜くとき失敗して芯を折った。
魚津のチャリ屋で新しいチューブを買ったが、
どうもチューブの太さが違ったらしくて再度パンクした。
うまくはいかのですのん。記録の次の日は休息日と決まっているのか。
まあでも昨日の疲労がずしっと重くのしかかってきている。
無理は禁物だ。なにせ北海道はまだまだだ。
風は珍しく追い風。こいでいないわりに伸びてくれた。
この日は道の駅市振で寝る。
コンビニのおばはん(ヨットハーバーのおばちゃんI村さん似のコワソーな感じ)から聞いたのは、
その昔関所があって、難所でもあるそうだ。
まあ関所なんてせき止めやすいところに作るんだろうね。



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2001/9/19 市振 => 柏崎 100Km

朝一難所の"親不知 子不知"に行った。
確かに地形は崖になっていて、やばいが道的には、
歩道がなくトラックがばんばん飛ばすのでそっちの方が怖かった。
途中から歩行者用の道に入っていったら、雨が急に降ってきて最悪!!
しかもリュックの中はビニールに包んでなくて、
地図とか早急にカッパで覆ってかばうように休憩所に駆け込んだ。
雨が止む気配がないので、仕方なくそのまま走り出した。
難所を越えたとこで、道の駅があり、そこでチャリダーと会った。
彼は北海道を回って、京都に帰るとこらしい。
糸魚川のとこでまたパンクった。
なかなか進めないなー。
徐々に雨が止んでくる。北の方はどうやら降っていないらしい。
結構場所によって違うものだなと。
チャリ屋探しをまたする。そのいい方法を見つけた。
本屋でサイクル雑誌を見ると、
どっかに町のチャリ屋が乗っているから、
そこに行けば確実にチャリ屋にたどり着ける。
人に聞いたり、適当にうろうろしていると時間が取られるだけ。
この日に走った道路の中でも、久比岐自動車道という全長20kmぐらいの道を走った。
ここはマジで日本でNo1じゃないだろうか。
だってチャリのためのトンネルがあるぐらいだし。
ここの村長は間違いなくチャリオタクとみた。
完全に歩道と車道から隔離されて、自転車のための自転車道
こんな道が増えたら、渋滞緩和とか省エネとか運動不足が一気に解消されるだろう。
高速道路はもうええねん。これからの時代は高速自転車道の時代やわ。



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2001/9/20 柏崎 => 笹川流れ 172Km

今日は終始向かい風やった。最悪だぜんぜん進まねー。
海から風が吹き込んでくる。こぎ方をちょっと変えてみて、
重いギアで筋肉に負担がかかるようにしたら結構いい感じだったが、
後で疲労がたまってきて、力が入らなくなった。
とあるコンビにでサンドイッチを買ったら、
近所のおばちゃんがわらわら集まってきて
一杯もらった。コーヒーと茶とするめになったタコ、海苔ももらった。
どんだけもらっとるちゅうの。



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2001/9/21 笹川流れ => 道川 160km

ラジオが欲しくなってきた。
なんともずーとひたすらこいでばっかいると暇だ。
そろそろ緯度が上がりだしてきて、気温が下がり始めているのと、
天候によるのもある。朝は10度を割っているだろう。
朝、酒田の町に入ってきたときぱらぱらしていた雨が、一変して土砂降りになった。
この時、最上川を横断して橋の上だったので、避難するまでにだいぶ濡れた。
しかもこの前線通過に伴い、気温が一気に落ちた。もう心身共にやられまくって、
どっかのスーパーに避難したはいいが、
寒さとこれからどうしようという先が見えないことから
呆然とそこに30分ぐらいたたずんでいた。
それでも腹は減る。バンバン亭という店で飯を食った。
何がいいかと言うと、ほとんどセルフで自由さが気に入った。
にしても、向かい風とこの寒さは何とかならんのだろうか。



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2001/9/22 道川 => 碇ヶ関 142Km

今日は快晴。朝から放射冷却で一段と冷え込む。
低血圧の自分にはなかなか起きずらくなってくる。
日が昇ってきて何とか暖かくなってきた。
夜走っていると、冷たくて手袋が欲しくなってくる。



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2001/9/23 碇ヶ関 => 函館 50km

とうとう夢にまで見た青森まで来た。
振り返ってみるとたった11日間。やってみればできるものだ。
この時、日本って案外狭いと思った。
とにかくここまで到達して感動したというより、
目の前の北海道が気になって仕方がない。
それだけ、本州は走っていてあんましおもろくなかった。
まあ、前回の屋久島との比較だったので、しかたないわな。
ネタとしてりんごなるものを食してみたが感動なし。
フツーじゃん。。。時期じゃないのか。


フェリー(¥2100)でさくっと函館に渡り、
塩ラーメンを2軒食べた。感想としては、
ただのコンソメスープに麺が浮いているといったもの。
塩で味付けする限り、味に限界があるなと思った。
だって、博多ラーメンのあのコクと味わいには及びもつかない。
あー思い出したら食べたくなってきた。ここまで出前してくれ。


この日はライダーハウス来夢来人(らいむらいと)に泊まった。
居間では10人ぐらいいて焼肉会をしていたから混ぜてもらった。
なんか屋久島で泊まった晴耕雨読みたいな感じ。
やっぱバックパッカーが集まるような宿はこんな風になるんだろうね。
なんかいろんな話をした。中でもはげたおっさんのトークが炸裂していた。
疲れていたせいか、酒の回りも早く一発げろって寝た。



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チャリ旅行記 日本縦断編 その1

自転車の遠乗りをする人なら一度は憧れたことがあるかもしれない。

日本縦断

やるならちょっとできそうかどうかわかんないが、でっかくやりたい。
じゃ端から端でいいやんけ、ということで当時住んでいた福岡から
北海道を目指すと言う単純な考えからだった。
鹿児島からじゃないと縦断にならないと言われるかもしれないけど、
まあ前回行ったし、細かいことはいいや。


何でそんな疲れることをするのか?
ホント単なる興味。本当にこの道が青森まで続いているんだろうか?
もし、到達できたなら何かわからないが、いい気分になれるんじゃないかと思って。
ものすごく抽象的だけど、結局大きな選択をするときなんてロジカルじゃないみたい。
なんかいいじゃんぐらいの感じ。
やるなら最速がいい。自分の中では自分との戦闘という感じだった。
だから、宿をどっかにとってとか、そんなぬるいことは不要。
鉄道の無人駅で寝る。もしくは公園のベンチ。
一日走って、体力が尽きた時点でなだれ込むという寸法。
まあ、この平和な日本で殺されることもないだろうとタカをくくった。都会じゃなくて田舎だし。


前回の屋久島で経験した点をフィードバックして下記の点を変更した。

・雨天で泥はねがひどく顔にかかり視界確保ができない。背中もべた濡れ。
 =>前輪に泥除け装着 後輪は搭載したバッグが泥除け代わり。
・チューブラータイプのタイヤがパンクすると、全部交換するしかなく、
 また、雨天時に交換後すぐに走り出すのはタイヤが外れる危険がある。
 (リムセメントが乾ききらないから)
 =>WOタイプという一般的なタイヤに変更。これはチューブとタイヤが分離でき、
 パンクしても簡単に補修できる。
・背中に重い荷物を背負うとケツの穴に負荷が集中して痔になり、
 トイレで恐ろしい痛みと戦う羽目に。
 =>自分はMじゃないので、バックをチャリに直接搭載し背負わない。
 軽量化のためテントもコッヘルもバーナーもなし。寝袋のみ。
 着替えは3日分ぐらい持ち洗濯して、晴れたら自転車の後ろにくくりつけて、
 走りながら乾かす。実際には、毎日ほとんど雨ばっかだったので濡れっぱなし。




2001/9/11 福岡 => 長門 180km

今日とうとう念願だった北海道へ旅立った。
天気は台風が近くにいるみたいで、風が強く風向は北=>北東
要するに台風に追いかけられる感じで背中に背負っていることになる。
初日から向かい風はきつい。数日して徐々になれた後ならまだしも。
でも、このまま追い風になったら相当すすむんじゃないかと期待もした。
にしてもファミレスのジョイフルがべたべたにある。だから昼も夜もそこ。
ジョイフル万歳だ。
夜は結局公園の自販機の前にベンチがあったからそこで寝た。
雨がぱらぱらしてきたがまあ何とか屋根があったからしのげた。
で、寝初めて30分した時若者4人組がやってきた、
なんかこそこそ話をしていたがやがてどっかいった。
後から遠くでにぎやかに盛り上がっていた。
田舎の若者は夜中こんなとこに来てwデートかよ、
安上がりやなとか思った。
向かい風の割りに180Kmぐらい走ったのは初日の出だしとしてはまずまずだ。
このままスタミナを維持していきたい。



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2001/9/12 長門 => 浜田 139km

朝ペースを早めに行ったが、鎖峠(231m)のアップでやられてダウン。ほとんど押した。
下りはその分だけ最高だった。チャリのいい点は下りの爽快感。
この日の風向きは昨日にも増してもっと最悪で真正面からだった。
山口県の地形は結構きつい。須佐の手前までかなりの多くのトンネルを通った。
長いとこの真ん中では懐中電灯をつけるぐらい暗かった。
歩道は狭いし、いつトラックにふらふらと巻き込まれてもおかしくない状況。
トンネルの先が遥か遠くにぼわっとかすんで、奇妙な世界をかもしだしている。
須佐を抜けたら、ぱーっと一気に視界が広がった。
真っ白な白波が打ち寄せる。海一面真っ白。こんな時、自分の中の何かが突き動かされる。
何だろうか?この暴れるような、でも暴力的ではなく、何かを破壊するでもなく、
そう、"やってやるでー"という感じだ。

このあたりは結構温泉がある。一日が終わった時点で入って寝られればベストだが、
そううまくいかない。明日入ろう。
国道9号に入ってからは踏んだり蹴ったりだ。車の事しか考えていない。
トンネルで歩道がなかったり、勝手に車道と切り離されたり。
それに引き換え191号はよかったわー

どっかの町役場のテレビで信じられないものを見た。
アメリカでテロだとか。そう今でこそ歴史に刻まれることとなった9/11の日。
旅の2日目、ニュースで飛行機が世界貿易ビルに突っ込み、倒壊する動画を今でも鮮明に覚えている。
日付が一日異なるのは、日付変更線をまたいでいるからだと思う。



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2001/9/13 浜田 => 斐川 96.5km


今日は朝から、他のチャリ野郎に会った。
なんでも8月後半より明石から旅に出て、北海道を回って、
今に至るとか。一日に150km〜200km進むらしい。
とんでもない奴だ。18歳だとか。
でも日本を回るのは既に三回目らしくて、道をわかっていた。
彼曰く、旅に出て一週間は筋肉痛らしい。
この筋肉痛があと一週間も続くのかと思うとげんなりしてくる。
やっと、温泉に入った。温泉津温泉(¥200)ゆのつおんせんと読むらしい。
とにかく濃かった。
白く濁っていて、そう別府のように壁が茶色く変色して、
卵の腐ったような臭いはしなかったが、
鉄っぽい臭いがした。飲めるみたいで、
口に含むと効く薬と言う感じで、塩辛く変な鉄分の味もした。
風呂は情報交換の場所だ。いろんな人が集まってきて話をする。
本来人間とはこういう社会的な生き物だと思う。
ここで聞いた話で一番印象的だったのは、北海道の羅臼というとこが一押しらしい。
変な名前だったので頭に留めておいた。
後から振り返ると、旅先で言いと言われたとこはことごとく行っている。
誰かから聞いた能登も会社の同僚と数年後に行くことになる。

チャリ野郎に見習って、朝を有効に使うことに決めた。
要するに距離を稼ぐ方法は時間をとにかくかける事。
寝るのと飯以外は、常にコンスタントにこぐことなんだろうなと。
雨でもだ!後つかえるのは明るいうちが結局効率がいい。



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弱い自分とつきあう

こう人生が長いといろいろある。いい事もあるけど、そうでないことも。
その中でも気分が落ち込むこともある。
例えば、自分自身の能力不足、信頼の置けない自分、
他人とうまくいかない関係、他人の中傷、身体能力の低下、などなど。
人それぞれいろいろあるかもしれない。


まあ要するに自分の思い描く道と剥離して、
現実には低いところでくすぶっているような時に起こりがち。
だから他人に相談すれば、「まあたいした事はないから気にするな」と言われる。
そう言われて、自分がハイそうですかと納得できればいいが、そんなに単純じゃない。
いや、やっぱりそうじゃないとか、
堂々巡りでぐるぐる思考が行ったりきたりすることもある。


しかし、この感情をうまく利用してバネにできれば、
次に大きなリターンとなる可能性を秘めている。
逆に、コントロール不能に陥った感情に支配され、慢性的になると肉体に影響したり、
己ばかりか周りの人までも巻き込んで悪影響を及ぼしかねない。


次の方法の模索と実行に頭が切り替わって集中できればいいが、
大体においてその前に感情的に沈んだり、
落ち込み打ちのめされる。それが人間だから。


自分の中では、そのリカバリーの方法について、
いくつか種類があるみたい。


方法1:体を動かす。

しかも即座に。ごちゃごちゃ考えているうちに体も止まっては元も子もないので、ここは集中する。

自分の場合は散歩か自転車に乗る。当然簡単なエクササイズなので、
沈んだ感情はすぐに切り替わるわけはなく頭の中をぐるぐる回ってはいる。
しかし、一人で部屋の中にいるよりかは考え方がいい方向に考えるように、どうもできているみたい。
これは体を多少なりとも動かすということが頭にいい影響を与えているんだと思う。
頭が止まったときには、体を動かしてみる。心と体はどこかで一つにつながっているんだと思う。

あと掃除もなんかいいみたい。手を動かして、何かをきれいにするという作業は、
精神的にもいいようだ。

方法2:情報を取り入れる

音楽を聴く、映画を見る。いまやネットにつなげば膨大な情報へアクセスが可能。
この時の目的は、刺激を受けて今の自分の心を揺さぶるというとこに自分は集中する。

方法3:人と話す

これは万国共通だと思うけど、確かに気分は一新される。単純なトークでもいいし、
相談できる人がいれば、ありがたい限りだ。

方法4:己を受け入れる

自分というのはこの程度なのかということを悟る。
巷にあふれる情報は、誰かの成功体験とか、たまたま起こった事柄を書きたてている。
内容的にも刺激的な情報じゃないと誰も見てくれないから。
しかし、そんな情報ばっかに触れすぎていると、自分と比較したときに居場所はなくなる。

付き合っている誰かがいるわけでもなく、友達だって数えるだけしかいない。
将来食っていけるような保障もスキルもない。
そんな存在だって呼吸して、生きることはできる。
そしてこの先ずっと変わらないかもしれない。それでもいいと思えるかどうか。
最終的には呼吸して、存在することができれば満足と思えれば、
おそらく己は受け入れられると思う。
勝手に自分の頭の中に作り上げている偶像を壊し、
しがみついていた何かを、全て捨てることだと思う。

方法5:考えない

これは簡単そうだが、実は難しい。
理屈としては、考えてもどうしようもなくて意味がないが、
感情的にそれが納得できないという時、勝手に思考が奪われている。


考えを止めるためには、自分は十年前を思い返してみる。
そうすると何が見えてくるかというと、その時もやはり今と同じように、
喜怒哀楽があって、日々浮かんだり沈んだりしていた。
しかし、その中でも今につながっている重要なことがある。
そのとき一生懸命やっていた活動や経験が後々につながってきている事を、
長く生きれば生きるほど理解するようになってくる。
それと対比して、いま直面している問題というのは、後々いかほどの影響があるか、
と考えると多くのケースは案外たいした問題とならないかもしれない。
そうイメージできたら、ちょっとは胸がすっと楽になる。


今まで経験してきて、時が経てば感情は薄れていくということを既に知っている。
十年前と同じようなことで浮き沈みしていると、若い自分に笑われそうだ。
後々につながる事に時間を費やした方がいいと思う。


復帰

しかし、いつまでも悲劇のヒーロ・ヒロインに浸っているわけにもいかない。
時は無常にも過ぎていくばかり。
あくまでも上記の方法は、負の感情との付き合い方。
少しでも戦ってやろうという前向きな方向に向けば、即座に行動すべき。
まだ、自分は死んではいない。
何かしら外に働きかけられる何かがあるはずだ。そこに集中する。


ちゃんと実行できる可能性がある行動を立てる。
というか万年三日坊主だと、そんな風に自分を裏切り続ける方が苦しい。
何かしら一つ、どんだけでもいいから敷居を低くして、超えたということが重要かと。
一つ超えれば後は、量と時間の話で、どれくらいのレベルへ、
いつまでということに目標が変わるだろうから。
それでも、ものによっては同じ事を繰り返すかもしれない。これもまた人間。
そうしたらまた方法を変えるしかないだろね。
人に聞く、本を読む、自分でしらみつぶしに試しまくる、環境を変えてみる、こういったことかもしれない。
場合によっては、完全にそのことから遠ざかることが、解決になるのかも知れない。



日々の経験には、後々使い回しができる類のものと、その場限りで消滅してしまうものがあるようで、
前者を得ようと、頭がだんだんシフトして来ているみたい。




PS:
お隣さんからもらったコンビニ寿司を食べてみた。
彼は寿司はあんまし好きじゃないみたい。
こっちの寿司のステータスはそれなりなもので、
寿司のファーストフードみたいな店には結構人が入っているし、
コンビニでも、結構売られている。
で、食べてみた感想は、寿司風味の何かという感じ。
カニカマを持ってきて、これは蟹ですとこじつけているような感じ。
ご飯は硬くてプラスティックみたいな食感だし、
ゴミみたいなネタがしょぼんとしか入ってなくて、
こんなのが寿司かと思われていると考えたら、残念でならない。
表紙のタイトルはFish SUSHIになっている。
寿司は基本的に魚に決まっているでしょーが。
もらった人にはぜひ本当の寿司を食べてもらいたいが、
自分が食べさせるにはちょっと値が張るなー。
あと実際に生食用の魚って、そこら辺では売ってないんだよね。


ああ早く本場の寿司が食いたいわー。
何が好きかというと、"えんがわ"と"貝類"
白くてぷりっとした食感がたまらんです。

引越し後

引っ越してから3週間ぐらいになった。


新しいうちはまあ都心にあって、
いわゆる渋谷みたいな中心地(oxford st)までチャリで15分と近い。
でも都心といっても、日本の方が圧倒的に物量とか人とか規模が凌駕していると思う。


このうちは前のうちと違ってワンフロア4部屋と台所。
前のうちと比べると、だいぶ差がある。まあ都心だから仕方ないんだけど。
でも人数は前のうちと同じ7人。密度がかなり高く感じる。


ポーランドカップル。
カザフスタンの全然似てない双子
スウェーデン人とモーリシャス人の夫婦。
スウェーデンといっても長く住んでいただけで、もとはスリランカ人。
なので肌は黒い。なんともばらばら。
そして、みんな話せる言語は3つが基本っぽい。
母国語。自国に公用語が存在する国がある。世界共通語としての英語。
日本のように、自分の国が単一の言語の方が少ないようだ。
カザフスタン公用語はロシア語。カザフスタン語は別に存在する。
別に知っているリトアニア人もやっぱロシア語が話せる。
歴史的背景からしてもソ連だかロシアの影響はでかいんだろう。
だからその彼女らに聞いてみた、二人はいつも何語でやり取りしているの?
ロシア語らしい。忘れてしまうからだってさ。

みんなの英語の発音が超適当

もう、自分の国のアクセント丸出し。
まあ伝わればなんでもいいんだけどね。
何年いてもアクセントは変わらないものなんだろうなと思った。
別にブリティッシュアクセントがよいというわけではないが、
なるべく聞き取りやすいアクセントで話した方が、相手に理解されやすいと思う。
聞き取りやすいアクセントってなんだろうね。よくわからんが。


だから、自分はできるだけ、この人の話し方かっこえーなと、
思う人を真似ようとしてはみる。
今のとこ誰かと言うと、Jason Statham(トランスポーターの主人公)とか。
ま、難しいね。でも目指すのは勝手。

みんな金のために来ているし、仕事を探している

自分の国ではいい条件の職が少ないし、そもそも金額の桁が全く違う。
そりゃ自然と体が動くわな。
彼らからすれば、バカ高い学費のリターンとして、高い給料を得る。
逆に先進国出身だと低い学費のリターンとして、低い給料を得る。
まあイギリスより物価の高い国なんて世界にそんなにないだろうけど。
でもロンドンに比べ、東京の家賃は高いと思う。
それだけきれいな家に住んでいるというのもある。


多くの人は物価の安い国から来ている。
そんな中でも留まりたいと考えている人も結構いる。
考えても見て欲しい。自分の国で働いて500万ぐらいだったのが、他の国に行ったら、
ウン千万の価値とかそういうことが起こりうる。そりゃ目の色が変わるわな。
こういう点で日本から来る人と圧倒的に条件や意欲が異なると思う。


留まるためには、会社に就職してワークパーミットをもらう必要がある。
そのためには、大体が大学へ2年ぐらい行っていたりする。
卒業証明をもらい、それを証明として会社に就職するというのが普通みたい。
自分の知り合いでも英語学校を終えて、大学に行く人もいる。
みんな大体20代前半から真ん中が多い。
ちょうど遊びつつ適度に勉強しながら、英語をインプットしていくという具合。


大家は多分インド人

金持ちでレクサスを乗りこなしている。
契約の為に彼女のうちに行ったが、それはそれはでかくてきれいなお屋敷だった。
場所も高級住宅街にあって、リージェント運河沿いのとこ。
玄関で靴を脱いだ。こういうのはアジアで共通。
家の中に土足を持ち込まないのは、家をクリーンにする知恵だと思う。
何気なくやっている日本の文化をこういうとこで認識する。


2009/10/6追記
大家はアフリカ出身だった。。。
マラウィだって、全然かすりもしてない。大陸違うし。
だんなさんはイギリス人っぽかった。
マラウィってこんな国みたい。

環境を変えると見えてくることがいろいろある

いかに前のうちが親しみやすくて、居心地がよかったのかを。
いろんな日曜大工道具はそろっていて、広い台所だって使い放題。
家は一階から3階まであってそれぞれの部屋は広い。
デービットは昼間もうちにいて、時間があればとっ捕まえて話した。
キャロルはテニスコートに連れていてくれて、タダでテニスさせてくれる。
たまには飯を食わせてくれる。
大体はベークドポテトかチキンの丸焼きだったけど。
WEBを作る際は、キャロルと何回か打ち合わせたけど、いい英語の勉強になった。
何せ自分が伝えたいことはあるのに、なんて表現すればいいのかわからんし、
でも伝えんと前に進めないという状況があった。
そんなときは、紙に図を書くことが一番解決しやすいと思った。


デービッドが毎日台所を掃除していたのも今となっては、ありがたいと後々からわかる。
こっちに移ってから、掃除は毎週持ち回りで回ってくる。
ということは一週間に一度しか掃除されないわけだけど、
まあ前に比べたら汚い。流しとかもつまりがちだから、排水溝を空けて掃除したら、
まあヘドロの真っ黒なのがたまっているわけよ。だから一日かけてじっくりと掃除した。
ま、自分のうちは自分たちでやると言うのは当たり前のことなんだけどね。


掃除をしても、大家がやってきて、何この汚いうちは!」
って文句言い出して、モップがけをさせられる始末。
なんだそりゃ。。。


みんな大家はクレイジーだって口々になじっている。(大家が帰った後で)


最近はそんな感じ。
こっちにいるのはあと3ヶ月ぐらいだけど、
何かしら拾えるものは拾っておきたいかな。

Get in touch with

家を引っ越した。

今まではロンドンの中心から一時間かかるちょっと離れたとこにいたが、

そもそも場所的に何でそこを選んだかというと、
東京だったら一時間なんてざらだし、ちょっと郊外の方が落ち着いた環境じゃないかなと。
もう一つの理由は、最初の2ヶ月は壁の修理をするかわりに、一週間£25pwという契約だったから。
まあこれは前にも言ったけど、WEBサイト構築に取って代わった。


12月上旬に移って、一冬を越して夏を迎え、9ヶ月が早くも過ぎていた。


最後自分が家を離れる時、どんな感じかわからんかったけど、イメージしていたのは
誰か居たら適当に握手でもして「じゃ!」って感じだと思っていた。

なんでそう思っていたかと言うとこっちの人って、
どうも会話や主張をとても重んじるけど、
同じ建物に居るかどうかはそこまで意識していないみたいだったから。
だから、また世の中のどっかで会ったらHow are you?で始めるのかなと。
毎日が一期一会みたいなそんな感じ。


しかし実際にはそうじゃなくて、わざわざ待っていてくれて、
みんなでケーキ食ったりワイン飲んで、キャロルなんて手紙みたいのをくれた。
(実際にはその手紙ごちゃごちゃ写真なんか撮っている際にどっかに紛れて忘れてきたんだけど。こっちに郵送してくれるようメールで催促済み。)
最後はハグなんかして。


印象に残った言葉は"Get in touch with us"
文字どおり訳すと、"連絡してきてね"だけど、もう少しニュアンスが異なる。
"お互いいつまでもつながっていようね"というイメージを強く受けた。
普段こんな単語使わないし。通常の生活で連絡といえばcallだかmailだか。
言語は感情と記憶に強く関わっているのをすごく感じる。
おそらくこの単語を聞く度に、この時を思い出すんだろう。


パームという隣の部屋に住んでいた子がわざわざ駅まで送ってくれた。
彼女はアイリッシュで都会育ちではない。
だから最後は駅まで送るとか、そういう習慣があるんだと思う。
で、その途中に話した内容が、
「こっちに来てなかなか友達作るの難しいんだよね。だから時間があったらいつでも電話して、飲みでも行こう」と。
それを聞いた時、えーって思った。だってそんなに親しいとは思っていなかった。
確かに前に話した時に聞いたのは、
「4月にこっちに来てからナーバスなんだよね。だって、なかなか友達ができないから」って言っていたのを思い出した。
彼女たちアイリッシュアイルランド語の方が下手なぐらいほとんど英語で生活している。ということは、英語という言語が問題ではなく、別な要素だということ。
でも、その時やっと彼女が思っていたことを理解した。



この時、強い後悔を感じた。
もっと素直に言いたいことを言っておけばよかった。
話したければ話しておけばよかった。
途中、どうせ聞いてもわかんねーよと思って聞き流していた会話もある。
言語は問題かもしれないが、それに割って入ってでも内容を理解して、
自分の言いたいことを伝えると言うことはとても重要なことだと強く認識した。
ここに確かに自分は存在して、意思を伝える口を持っている。
なぜ言葉を発しないのか?何を恐れるのか?
空気読む力?そんなもの不要だ。


そう、彼らの文化は伝える・主張するということは常にウェルカムだ。
というか、そうしないことには始まらない。
日本人のような思いやりによる質問などの会話の展開がない。
根掘り葉掘り聞いたりすることはない。
誰かが主張し出したら、別の誰かが次に主張し始めない限り続く。
ある意味、誰かの主張を待っているのかもしれない。


理屈では理解していても、いざその場に居合わせると、投げ出しがちだった。
だって、割って入った日には完全にKYになるだろうからそれが面倒というか、
もういいやというラインがあった。

しかし、そのラインは間違っていたことに気がついた。大いなる誤解じゃないかと。
もっともっと自分の言いたいことを好きなだけ言っておけば、
もっと違った展開になっていたかもしれないのに。

そんなことをこの年ながらになって強く感情で感じた。理屈じゃない。



もともと自分の中で別に主張したくなければ別にいいや、
どうせ大して変わらないしという考えが常にあった。
しかし、今それにはむかおうとする反対の力を強く感じる。


別れるということは人を強くするのかもしれない。


                      、、、とか言ってみたりして。

愚痴?反省?

なんとも歯がゆい事はいつだって起きる。
おそらくこれが人生なんだと思っている。
しかし起こってしまったからには今後二度と同じ事をしない、つもり。
ここ一年でぱっと思いつくこと。

罰金2件

電車のオーバーライド(£30)Thronton Heath

 去年の12月、住んでいる家を替えるために今の家を訪問した。
 その際に駅のゾーンがわからなかった。
 ゾーンとは、各地域を大きなゾーンに分類して、料金を決めるシステムのこと。
 一つのゾーン内で移動すれば安いがゾーンをまたげば高くつく。
 この時は自分が持っていたのはゾーン1から3までの定期だったから、
 日本みたく後から乗り越しできるだろうと思い込んでいた。
 たまたまその駅に降り立った時に、係員が抜き打ちのチェックしていた。
 そしていわれたのは「£30よこせ」。はあー???何やねんその額は?なめとんのかい。
 訳もわからず金を出した。後からわかったんだけどゾーンをオーバーして乗っていたらしい。
 この駅はゾーン4だった。
 不運にも乗り越しという制度はなく、乗り越した時点でタダ乗り罪とみなされ即罰金だったということ。
 ホントこの国のやりそうなことだ。
 むずかしい乗り越し清算なんて作れないから、罰金刑にして封じ込めてしまう。
 でもこの抜き打ちチェックは、どうやら3ヶ月に一度ぐらいしかしていなかったことが後からわかり、
 この時は相当不運だったようだ。
 そもそも鉄道の係員が怠けすぎなんじゃー。チェックするなら常にチェックしろよ。
 17時過ぎると駅員は誰もおらんくなるし。
 ちなみにこの罰金は現在£50に引き上げられている。どんだけみんなただ乗りしているんだか。。。

駐禁(£35)Oxford

 たまたま町の中心に車を止めて、駐車の切符を買って社内に置いておくことを忘れた。
 1時間後にはガッツし、違反の黄色いステッカーみたいなのが置かれていた。
 当然といえば当然だが。こういうとこだけは仕事が早い。
 ここからが日本とちょっと違う。一週間以内に罰金を払えば、ディスカウントされて半額の£35。
 それ以降だと正規の£70。こんな罰金ですらお得感を出して人を動かそうというのがまたケチだ。

浪費

チャリのタイヤ3本(£45)

 ロンドンの道は悪路だ。
 自分の持っていたタイヤはタイヤとチューブが一体化されている、
 競技用のチューブラーと呼ばれているタイプのものだ。
 日本でも珍しいが、こっちでは輪をかけて珍しい。たまに人から声をかけられるぐらい。
 そしてメンテナンス性の悪い事に、一度パンクするとタイヤ全体交換するしかなく、
 そのコストたるや安いタイヤでも£15からだ。
 そして交換の手間がまたかかる。パンクしたタイヤをリムから引き剥がし、
 リムに新たにセメントをのっけて、少し乾いたら新しいタイヤを装着する訳だけど、これもかなり面倒。
 ほとんど職人技。雨が降っていたら、こんな作業は無理。
 また、チューブラーのタイヤは普通の店には置いてなくて、ロード専門店にしかない。
 ちょうどパンクしたフロントタイヤを変えて一週間以内に再度パンク。
 直した次の日にはリヤがだめになって、交換した次の日にはフロントが再度パンクした。

タイヤのパンクも多くのケースがいきなり破裂というのではなく、
 大体がガラスのチップを拾って空気が漏れる。
 漏れ出すと大体数十分おきにポンプで空気を入れる必要がある。
 それよりもっと進行してきて空気が入らなくなった時点でOUT=>タイヤ交換という構図。 
 タイヤの空気ももれもれ、雨も降ってきた、膝も痛いといった状況下では本当に叫びたくなる。
 まあ、要するにロンドンの町ではガラスがあちこちに落ちていて、
 チューブラーでは対処できないということがわかった。

 最終的にここロンドンでチューブラーを維持することは断念して、
 みんなが乗っているクリンチャー(WO)方式にリムを含めて総入れ替えした。
 これもかなりの金額が飛んでいった(£130ほど)。
 まあ、膝のリハビリもあるし、交通費が無料というメリットもある。
 あとは混雑した電車・バスに乗って豚インフルになりたくないとか。

レンタカーの延滞料金(£50)

 人をヒースローに送っていって帰ってくるときにM25で渋滞に巻き込まれた。
 車をレンタカー屋に返すために、一時間でCroydonに帰って来るのは距離的にはまあ難しくないが、
 案の定、夕方のラッシュに巻き込まれて身動きが取れなくなった。
 そしてさらにGPSを持っていない。レンタカーやが貸し出していなかった。
日本じゃ全くありえないけど、ここはUK。 
 ナビしてくれる人もいないし、でかい主要道が渋滞で使えない。
 まったく方向を失った自分はレンタカーやに電話をかけて、
 明日の朝持っていくとなんとか伝えた後、2時間かけて自分の家までなんとかたどり着いた。
 マジでロンドンで車に乗るということは日本なんかより遥かにむずい。
 基本的に標識の地名なんかさっぱりわからんし、信号は少なく基本的にロータリーが多い。
 そうなると自然と一方通行が多くなり、いつどのレーンに行けばどの方向に曲がっていくのかすら、
 さっぱりわからん。
 イメージとしては、首都高速の出入り口やジャンクションを複雑にした感じ。
 そんな道をGPSなし、ナビしてくれる人なし、比較的簡単であるはずの主要道すら使えずの状況では、
 まあ何もできずにただボーぜんと時間だけが過ぎていった。
 翌日レンタカーやに車返したらガッツし金ぼられた。まじ罰金なみ。
 

インドからの航空券(去年の夏)

 もともと滞在期間は3週間の予定だったが、2週間たった時点でどうしても日本に帰りたくなった。
 これは今思うと6感みたいなものが働いていたのかも知れない。
 日本に帰ってきて次の日に赤痢を発病した。
 このときの帰りのチケットは7万円ぐらいはした。高い授業料だった。

 それに続くイギリスの航空券はさらに高くついた。
 というのもインドから帰ってきて赤痢になって、いつイギリスへ出発できるかが不透明になった。
 なんとか2週間遅れで行けそうになり、その時点で航空券をとったが、片道で10万円ぐらいした。
 一年オープンとか格安航空券の帰りを捨てるとかそういった芸当は当然できなかった。

 こういうアクシデントは本当に経験としか言いようがない。

 これから一つ学んだことは、保険様様だということ。当然全額治療費は帰ってきた。
 疫病は日本に帰ってきて発病しても、3日以内なら保険適応可能ということも新たに知ったし。
 

その他の人の例

 人によっては、自分の部屋にお金を置いておいたら、誰かに盗まれたという人もいる。

 また、他の人は同居人に金を貸して、戻ってこない人もいる。
 一緒に住んでいるなら話し合えばいいでしょと思うが、
 すでに一言も口を聞かない状況に陥っているらしい。

 これらのケースは何百ポンドというでかい単位だ。
 日本ではありえないことが実際に起きている。
 
 
 高い高い授業料だなーと常々思う最近である。

ウィンブルドンでテニスを見てみた

テニスをしていた人間としては一度はあこがれるんじゃないだろうか?
たまたまこの時期にロンドンに住んでいて、またうちからは電車で30分と近い。
長く生きていれば、こういう機会が巡ってくるもんだなと。


うちのキャロルからはチケットをGETするのはそうとう難しいとは聞いていた。
でも、まさかチケットが取れるとは思っていなかった。案外やってみるものだ。
How To Get Last Minute Tickets to Wimbledon


どうもキャンプして張り込むと取れるみたい。
早速近くのスーパーで激安テント(£12)を買って、タイ人の友達と現地に向かった。

現地に着くと、そりゃもう人だかり。そんな人だかりもほとんどは当日チケット目当て。
まあ何といっても、始まって3日目だからね。
おそらくこれが、終盤のベスト8とかになったら、馬鹿みたいな人だかりだろうね。
ちなみに男子ファイナルとかになると、当日チケットはない。全て予約みたい。
噂によると一年前から予約されているとか。
WEB上のチケットを見たら、なななんと£3749!!!(日々値段が釣り上がっている)
あほかいなー、60万円なんですけどー。。。。来年のチケットGETして売りさばこっかなー。


それでも前日の朝からキャンプする人はそんなにいなくて、列の前の方をGETできた。先頭からは28番目
次の日の朝には1000人ぐらいの列になっていた。
まあこれぐらい前にいたら、どの席でも取れるやんけと思った。
席に関して、事前に情報収集していたのはよかった。実は日本人のおばちゃん3人組と知り合った。
どうやら彼女たちはウィンブルドンの常連さんで、かれこれ15年間毎年このために来ているそうだ。
なので、どうやったらサインをもらえるかとかも知り尽くしている。
自分の友達はどうしてもフェデラーのサインが欲しいらしく、
サインをもらいやすい席というのが、通路番号(gangway)101でできるだけA列に近い列がいいとの事。

なので、チケットを買うゲートで101だ101をくれー!!と連呼した。
とうとう念願のセンターコートチケットをゲット。サインもついでにGETや!と思った次の瞬間凍りついた。

101というのはシート番号で通路番号じゃない。やってもうた。。。
チケット買うときに逆さまから見ていたから角の番号を通路番号だと勘違いしていた。
チケットのおっちゃんももうちっと気いきかせろよ。誰がシート番号なんてオーダーするかよ、とか思ったけど後の祭り。
人間熱くなることはいいんだが、冷静な判断が必要となるとこでは、
ただの馬鹿だということをまた一つ学んだ。


まあしかたない。気を取り直して、センターコートで見れることには間違いない。


伊達公子(世界ランク142位) vs Wozniacki(世界ランク9位) No2 court

伊達選手の今回のウィンブルドンは大会側の推薦枠。
大会側の理由は「長年の競技への貢献と、ウィンブルドン選手権での実績を考慮した」だそうな。すごいですねー。
コートに姿を現して一番初めに思ったのが、日焼けて肌が黒いのと筋肉がついているということ。
相当の練習量と筋力強化がうかがえる。

彼女のストロークが健在でかつ、世界のレベルに負けていないことはうれしい。
ライジングからフラットめなストロークで早い展開。積極的に前に出て決めていくというスタイル。
こんなスタイルの選手は世界でも他にいないんじゃないだろうか。
そんな感じでなんと第一セットは7-5で取ってしまった時は、熱かったね!
相手世界ランク9位なんですけど。年齢差20歳なんですけど。

結局逆転負けしてしまったけど、足の故障によるみたい。
コートでマッサージ受けてたりしたし。一ヶ月前の全仏でも左膝で棄権している。

でもこれを読むとなんで彼女が復帰して、そんなにもがんばるかがわかる。なんかもう哲学やね。

杉山愛 vs Santonja No18 court

この試合は18番コートで行われた。このコートちょっと特殊でグラウンドチケットで見れるのに、観客のスタンドがあったり、
カメラも設置されていてテレビ放映もされる。
杉山選手のテニスは粘りのテニスだと思った。どんなに打ち込まれても全部とって丁寧に返す。
逆に相手はパワーテニスでがんがん打ち込んでくるが、いまいちミスが目立つ。
精神的に崩れると連続してポイントを落とす。このあたりはキャリアの違いかなと感じた。
彼女の勝ったときの笑顔はすごく印象的だった。

Sharapova vs Dulko Centre court

初めてセンターコートに入った時の空間の広がりには驚いた。
たった一つのコートを見るために、こんな多くの観客で埋め尽くされている。
まあ無理もない世界で最高の試合なわけだから。

で、さらにびびるのは、Sharapovaの声のでかさ。1ショットごとに絶叫している。
決め球のとこで、一段とでかく叫ぶと、観客は苦笑している。
それでも、2ゲーム目はだんだんとショットが入るようになってきた。6-3で取ったときはかなり観客もヒートUPしていた。
とにかくリターンでもエースを決めるぐらい。残念ながら3ゲーム目は何かがぷつっと切れたようで粘り切れなかったようだ。

Federer vs Garcia-Lopez Centre court

ランキング2位とランキング42位の選手の間には大きくプレーの差がある。
だって、Federerは簡単にブレークするし、相手選手もプレッシャーからか簡単なミスも目立つ。
でも、Federerの決め球のショットはものすごかった。あんなショットは見たことがない。
でも力の差がありすぎて、うーんちょっと試合になっていなかったという感じ。

Cilic(チリチ) vs Querry Centre court

この試合序盤は結構サービスゲームをお互いキープするだけで、そこまで熱くなる内容ではなかった。少なくとも自分にとっては。
だから、センターコートを離れて、他のコートをちら見して戻ってきたときには、大きく内容が変わっていた。
5セット目に入っていて、2人ともへろへろだった。にしても序盤とはだいぶ雰囲気が違って、
サービスゲームをキープするというものではなく、互いにラリーをがんがん打ち込んでいた。なりふりかまってられないという感じ。
観客も"Come on Sam!! Come on Marin!!"というように応援が絶えない。
終いには、休憩中に観客にWAVEが起こった。
満身創痍の彼らを応援したいという気持ちが場内を2週半駆け巡った。


とにかく長い長い戦いだった。見ているこっちが疲れてくるほどに。
試合が終わったときにはすでに21時を回っていた。



こうして俺たちの初夏のウィンブルドンキャンプツアーは終了した。
もしかしたら人生で最初で最後の経験だったかもしれない。
そういう機会を与えてくれたロンドンには感謝している。

ウィンブルドンの全ての画像


彼らの圧倒的なパワーや強靭な意思を垣間見ていると、
自分も膝を直して、再びテニスがしたい、ウルトラ100km完走したい、
カイトでハンドルパスしたいといったやる気をふつふつと沸かせてくれる。
そんな人に活力・生きる力を与えてくれる人こそ、本物のプロだなーと感心してしまった。


PS:
うちで見ていたデービッドはテレビに映っている自分を見たらしい。
結構見られているもんだ。
まあ、髪の毛がうざくてバンダナ巻いていたから目立ったのかもね。


ちなみに知ってました?
BBCのWEBサイトでテニスの中継が見れるんですよ。こっちの時刻で毎日12時から始まります。
しかもセンターコートやNo1からNo4、No18を選択して見れるんでっせ。ぜひ試してください。
http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/tennis/