潜龍鍼師

WEBから鍼灸へ変えた話

Get in touch with

家を引っ越した。

今まではロンドンの中心から一時間かかるちょっと離れたとこにいたが、

そもそも場所的に何でそこを選んだかというと、
東京だったら一時間なんてざらだし、ちょっと郊外の方が落ち着いた環境じゃないかなと。
もう一つの理由は、最初の2ヶ月は壁の修理をするかわりに、一週間£25pwという契約だったから。
まあこれは前にも言ったけど、WEBサイト構築に取って代わった。


12月上旬に移って、一冬を越して夏を迎え、9ヶ月が早くも過ぎていた。


最後自分が家を離れる時、どんな感じかわからんかったけど、イメージしていたのは
誰か居たら適当に握手でもして「じゃ!」って感じだと思っていた。

なんでそう思っていたかと言うとこっちの人って、
どうも会話や主張をとても重んじるけど、
同じ建物に居るかどうかはそこまで意識していないみたいだったから。
だから、また世の中のどっかで会ったらHow are you?で始めるのかなと。
毎日が一期一会みたいなそんな感じ。


しかし実際にはそうじゃなくて、わざわざ待っていてくれて、
みんなでケーキ食ったりワイン飲んで、キャロルなんて手紙みたいのをくれた。
(実際にはその手紙ごちゃごちゃ写真なんか撮っている際にどっかに紛れて忘れてきたんだけど。こっちに郵送してくれるようメールで催促済み。)
最後はハグなんかして。


印象に残った言葉は"Get in touch with us"
文字どおり訳すと、"連絡してきてね"だけど、もう少しニュアンスが異なる。
"お互いいつまでもつながっていようね"というイメージを強く受けた。
普段こんな単語使わないし。通常の生活で連絡といえばcallだかmailだか。
言語は感情と記憶に強く関わっているのをすごく感じる。
おそらくこの単語を聞く度に、この時を思い出すんだろう。


パームという隣の部屋に住んでいた子がわざわざ駅まで送ってくれた。
彼女はアイリッシュで都会育ちではない。
だから最後は駅まで送るとか、そういう習慣があるんだと思う。
で、その途中に話した内容が、
「こっちに来てなかなか友達作るの難しいんだよね。だから時間があったらいつでも電話して、飲みでも行こう」と。
それを聞いた時、えーって思った。だってそんなに親しいとは思っていなかった。
確かに前に話した時に聞いたのは、
「4月にこっちに来てからナーバスなんだよね。だって、なかなか友達ができないから」って言っていたのを思い出した。
彼女たちアイリッシュアイルランド語の方が下手なぐらいほとんど英語で生活している。ということは、英語という言語が問題ではなく、別な要素だということ。
でも、その時やっと彼女が思っていたことを理解した。



この時、強い後悔を感じた。
もっと素直に言いたいことを言っておけばよかった。
話したければ話しておけばよかった。
途中、どうせ聞いてもわかんねーよと思って聞き流していた会話もある。
言語は問題かもしれないが、それに割って入ってでも内容を理解して、
自分の言いたいことを伝えると言うことはとても重要なことだと強く認識した。
ここに確かに自分は存在して、意思を伝える口を持っている。
なぜ言葉を発しないのか?何を恐れるのか?
空気読む力?そんなもの不要だ。


そう、彼らの文化は伝える・主張するということは常にウェルカムだ。
というか、そうしないことには始まらない。
日本人のような思いやりによる質問などの会話の展開がない。
根掘り葉掘り聞いたりすることはない。
誰かが主張し出したら、別の誰かが次に主張し始めない限り続く。
ある意味、誰かの主張を待っているのかもしれない。


理屈では理解していても、いざその場に居合わせると、投げ出しがちだった。
だって、割って入った日には完全にKYになるだろうからそれが面倒というか、
もういいやというラインがあった。

しかし、そのラインは間違っていたことに気がついた。大いなる誤解じゃないかと。
もっともっと自分の言いたいことを好きなだけ言っておけば、
もっと違った展開になっていたかもしれないのに。

そんなことをこの年ながらになって強く感情で感じた。理屈じゃない。



もともと自分の中で別に主張したくなければ別にいいや、
どうせ大して変わらないしという考えが常にあった。
しかし、今それにはむかおうとする反対の力を強く感じる。


別れるということは人を強くするのかもしれない。


                      、、、とか言ってみたりして。

愚痴?反省?

なんとも歯がゆい事はいつだって起きる。
おそらくこれが人生なんだと思っている。
しかし起こってしまったからには今後二度と同じ事をしない、つもり。
ここ一年でぱっと思いつくこと。

罰金2件

電車のオーバーライド(£30)Thronton Heath

 去年の12月、住んでいる家を替えるために今の家を訪問した。
 その際に駅のゾーンがわからなかった。
 ゾーンとは、各地域を大きなゾーンに分類して、料金を決めるシステムのこと。
 一つのゾーン内で移動すれば安いがゾーンをまたげば高くつく。
 この時は自分が持っていたのはゾーン1から3までの定期だったから、
 日本みたく後から乗り越しできるだろうと思い込んでいた。
 たまたまその駅に降り立った時に、係員が抜き打ちのチェックしていた。
 そしていわれたのは「£30よこせ」。はあー???何やねんその額は?なめとんのかい。
 訳もわからず金を出した。後からわかったんだけどゾーンをオーバーして乗っていたらしい。
 この駅はゾーン4だった。
 不運にも乗り越しという制度はなく、乗り越した時点でタダ乗り罪とみなされ即罰金だったということ。
 ホントこの国のやりそうなことだ。
 むずかしい乗り越し清算なんて作れないから、罰金刑にして封じ込めてしまう。
 でもこの抜き打ちチェックは、どうやら3ヶ月に一度ぐらいしかしていなかったことが後からわかり、
 この時は相当不運だったようだ。
 そもそも鉄道の係員が怠けすぎなんじゃー。チェックするなら常にチェックしろよ。
 17時過ぎると駅員は誰もおらんくなるし。
 ちなみにこの罰金は現在£50に引き上げられている。どんだけみんなただ乗りしているんだか。。。

駐禁(£35)Oxford

 たまたま町の中心に車を止めて、駐車の切符を買って社内に置いておくことを忘れた。
 1時間後にはガッツし、違反の黄色いステッカーみたいなのが置かれていた。
 当然といえば当然だが。こういうとこだけは仕事が早い。
 ここからが日本とちょっと違う。一週間以内に罰金を払えば、ディスカウントされて半額の£35。
 それ以降だと正規の£70。こんな罰金ですらお得感を出して人を動かそうというのがまたケチだ。

浪費

チャリのタイヤ3本(£45)

 ロンドンの道は悪路だ。
 自分の持っていたタイヤはタイヤとチューブが一体化されている、
 競技用のチューブラーと呼ばれているタイプのものだ。
 日本でも珍しいが、こっちでは輪をかけて珍しい。たまに人から声をかけられるぐらい。
 そしてメンテナンス性の悪い事に、一度パンクするとタイヤ全体交換するしかなく、
 そのコストたるや安いタイヤでも£15からだ。
 そして交換の手間がまたかかる。パンクしたタイヤをリムから引き剥がし、
 リムに新たにセメントをのっけて、少し乾いたら新しいタイヤを装着する訳だけど、これもかなり面倒。
 ほとんど職人技。雨が降っていたら、こんな作業は無理。
 また、チューブラーのタイヤは普通の店には置いてなくて、ロード専門店にしかない。
 ちょうどパンクしたフロントタイヤを変えて一週間以内に再度パンク。
 直した次の日にはリヤがだめになって、交換した次の日にはフロントが再度パンクした。

タイヤのパンクも多くのケースがいきなり破裂というのではなく、
 大体がガラスのチップを拾って空気が漏れる。
 漏れ出すと大体数十分おきにポンプで空気を入れる必要がある。
 それよりもっと進行してきて空気が入らなくなった時点でOUT=>タイヤ交換という構図。 
 タイヤの空気ももれもれ、雨も降ってきた、膝も痛いといった状況下では本当に叫びたくなる。
 まあ、要するにロンドンの町ではガラスがあちこちに落ちていて、
 チューブラーでは対処できないということがわかった。

 最終的にここロンドンでチューブラーを維持することは断念して、
 みんなが乗っているクリンチャー(WO)方式にリムを含めて総入れ替えした。
 これもかなりの金額が飛んでいった(£130ほど)。
 まあ、膝のリハビリもあるし、交通費が無料というメリットもある。
 あとは混雑した電車・バスに乗って豚インフルになりたくないとか。

レンタカーの延滞料金(£50)

 人をヒースローに送っていって帰ってくるときにM25で渋滞に巻き込まれた。
 車をレンタカー屋に返すために、一時間でCroydonに帰って来るのは距離的にはまあ難しくないが、
 案の定、夕方のラッシュに巻き込まれて身動きが取れなくなった。
 そしてさらにGPSを持っていない。レンタカーやが貸し出していなかった。
日本じゃ全くありえないけど、ここはUK。 
 ナビしてくれる人もいないし、でかい主要道が渋滞で使えない。
 まったく方向を失った自分はレンタカーやに電話をかけて、
 明日の朝持っていくとなんとか伝えた後、2時間かけて自分の家までなんとかたどり着いた。
 マジでロンドンで車に乗るということは日本なんかより遥かにむずい。
 基本的に標識の地名なんかさっぱりわからんし、信号は少なく基本的にロータリーが多い。
 そうなると自然と一方通行が多くなり、いつどのレーンに行けばどの方向に曲がっていくのかすら、
 さっぱりわからん。
 イメージとしては、首都高速の出入り口やジャンクションを複雑にした感じ。
 そんな道をGPSなし、ナビしてくれる人なし、比較的簡単であるはずの主要道すら使えずの状況では、
 まあ何もできずにただボーぜんと時間だけが過ぎていった。
 翌日レンタカーやに車返したらガッツし金ぼられた。まじ罰金なみ。
 

インドからの航空券(去年の夏)

 もともと滞在期間は3週間の予定だったが、2週間たった時点でどうしても日本に帰りたくなった。
 これは今思うと6感みたいなものが働いていたのかも知れない。
 日本に帰ってきて次の日に赤痢を発病した。
 このときの帰りのチケットは7万円ぐらいはした。高い授業料だった。

 それに続くイギリスの航空券はさらに高くついた。
 というのもインドから帰ってきて赤痢になって、いつイギリスへ出発できるかが不透明になった。
 なんとか2週間遅れで行けそうになり、その時点で航空券をとったが、片道で10万円ぐらいした。
 一年オープンとか格安航空券の帰りを捨てるとかそういった芸当は当然できなかった。

 こういうアクシデントは本当に経験としか言いようがない。

 これから一つ学んだことは、保険様様だということ。当然全額治療費は帰ってきた。
 疫病は日本に帰ってきて発病しても、3日以内なら保険適応可能ということも新たに知ったし。
 

その他の人の例

 人によっては、自分の部屋にお金を置いておいたら、誰かに盗まれたという人もいる。

 また、他の人は同居人に金を貸して、戻ってこない人もいる。
 一緒に住んでいるなら話し合えばいいでしょと思うが、
 すでに一言も口を聞かない状況に陥っているらしい。

 これらのケースは何百ポンドというでかい単位だ。
 日本ではありえないことが実際に起きている。
 
 
 高い高い授業料だなーと常々思う最近である。

ウィンブルドンでテニスを見てみた

テニスをしていた人間としては一度はあこがれるんじゃないだろうか?
たまたまこの時期にロンドンに住んでいて、またうちからは電車で30分と近い。
長く生きていれば、こういう機会が巡ってくるもんだなと。


うちのキャロルからはチケットをGETするのはそうとう難しいとは聞いていた。
でも、まさかチケットが取れるとは思っていなかった。案外やってみるものだ。
How To Get Last Minute Tickets to Wimbledon


どうもキャンプして張り込むと取れるみたい。
早速近くのスーパーで激安テント(£12)を買って、タイ人の友達と現地に向かった。

現地に着くと、そりゃもう人だかり。そんな人だかりもほとんどは当日チケット目当て。
まあ何といっても、始まって3日目だからね。
おそらくこれが、終盤のベスト8とかになったら、馬鹿みたいな人だかりだろうね。
ちなみに男子ファイナルとかになると、当日チケットはない。全て予約みたい。
噂によると一年前から予約されているとか。
WEB上のチケットを見たら、なななんと£3749!!!(日々値段が釣り上がっている)
あほかいなー、60万円なんですけどー。。。。来年のチケットGETして売りさばこっかなー。


それでも前日の朝からキャンプする人はそんなにいなくて、列の前の方をGETできた。先頭からは28番目
次の日の朝には1000人ぐらいの列になっていた。
まあこれぐらい前にいたら、どの席でも取れるやんけと思った。
席に関して、事前に情報収集していたのはよかった。実は日本人のおばちゃん3人組と知り合った。
どうやら彼女たちはウィンブルドンの常連さんで、かれこれ15年間毎年このために来ているそうだ。
なので、どうやったらサインをもらえるかとかも知り尽くしている。
自分の友達はどうしてもフェデラーのサインが欲しいらしく、
サインをもらいやすい席というのが、通路番号(gangway)101でできるだけA列に近い列がいいとの事。

なので、チケットを買うゲートで101だ101をくれー!!と連呼した。
とうとう念願のセンターコートチケットをゲット。サインもついでにGETや!と思った次の瞬間凍りついた。

101というのはシート番号で通路番号じゃない。やってもうた。。。
チケット買うときに逆さまから見ていたから角の番号を通路番号だと勘違いしていた。
チケットのおっちゃんももうちっと気いきかせろよ。誰がシート番号なんてオーダーするかよ、とか思ったけど後の祭り。
人間熱くなることはいいんだが、冷静な判断が必要となるとこでは、
ただの馬鹿だということをまた一つ学んだ。


まあしかたない。気を取り直して、センターコートで見れることには間違いない。


伊達公子(世界ランク142位) vs Wozniacki(世界ランク9位) No2 court

伊達選手の今回のウィンブルドンは大会側の推薦枠。
大会側の理由は「長年の競技への貢献と、ウィンブルドン選手権での実績を考慮した」だそうな。すごいですねー。
コートに姿を現して一番初めに思ったのが、日焼けて肌が黒いのと筋肉がついているということ。
相当の練習量と筋力強化がうかがえる。

彼女のストロークが健在でかつ、世界のレベルに負けていないことはうれしい。
ライジングからフラットめなストロークで早い展開。積極的に前に出て決めていくというスタイル。
こんなスタイルの選手は世界でも他にいないんじゃないだろうか。
そんな感じでなんと第一セットは7-5で取ってしまった時は、熱かったね!
相手世界ランク9位なんですけど。年齢差20歳なんですけど。

結局逆転負けしてしまったけど、足の故障によるみたい。
コートでマッサージ受けてたりしたし。一ヶ月前の全仏でも左膝で棄権している。

でもこれを読むとなんで彼女が復帰して、そんなにもがんばるかがわかる。なんかもう哲学やね。

杉山愛 vs Santonja No18 court

この試合は18番コートで行われた。このコートちょっと特殊でグラウンドチケットで見れるのに、観客のスタンドがあったり、
カメラも設置されていてテレビ放映もされる。
杉山選手のテニスは粘りのテニスだと思った。どんなに打ち込まれても全部とって丁寧に返す。
逆に相手はパワーテニスでがんがん打ち込んでくるが、いまいちミスが目立つ。
精神的に崩れると連続してポイントを落とす。このあたりはキャリアの違いかなと感じた。
彼女の勝ったときの笑顔はすごく印象的だった。

Sharapova vs Dulko Centre court

初めてセンターコートに入った時の空間の広がりには驚いた。
たった一つのコートを見るために、こんな多くの観客で埋め尽くされている。
まあ無理もない世界で最高の試合なわけだから。

で、さらにびびるのは、Sharapovaの声のでかさ。1ショットごとに絶叫している。
決め球のとこで、一段とでかく叫ぶと、観客は苦笑している。
それでも、2ゲーム目はだんだんとショットが入るようになってきた。6-3で取ったときはかなり観客もヒートUPしていた。
とにかくリターンでもエースを決めるぐらい。残念ながら3ゲーム目は何かがぷつっと切れたようで粘り切れなかったようだ。

Federer vs Garcia-Lopez Centre court

ランキング2位とランキング42位の選手の間には大きくプレーの差がある。
だって、Federerは簡単にブレークするし、相手選手もプレッシャーからか簡単なミスも目立つ。
でも、Federerの決め球のショットはものすごかった。あんなショットは見たことがない。
でも力の差がありすぎて、うーんちょっと試合になっていなかったという感じ。

Cilic(チリチ) vs Querry Centre court

この試合序盤は結構サービスゲームをお互いキープするだけで、そこまで熱くなる内容ではなかった。少なくとも自分にとっては。
だから、センターコートを離れて、他のコートをちら見して戻ってきたときには、大きく内容が変わっていた。
5セット目に入っていて、2人ともへろへろだった。にしても序盤とはだいぶ雰囲気が違って、
サービスゲームをキープするというものではなく、互いにラリーをがんがん打ち込んでいた。なりふりかまってられないという感じ。
観客も"Come on Sam!! Come on Marin!!"というように応援が絶えない。
終いには、休憩中に観客にWAVEが起こった。
満身創痍の彼らを応援したいという気持ちが場内を2週半駆け巡った。


とにかく長い長い戦いだった。見ているこっちが疲れてくるほどに。
試合が終わったときにはすでに21時を回っていた。



こうして俺たちの初夏のウィンブルドンキャンプツアーは終了した。
もしかしたら人生で最初で最後の経験だったかもしれない。
そういう機会を与えてくれたロンドンには感謝している。

ウィンブルドンの全ての画像


彼らの圧倒的なパワーや強靭な意思を垣間見ていると、
自分も膝を直して、再びテニスがしたい、ウルトラ100km完走したい、
カイトでハンドルパスしたいといったやる気をふつふつと沸かせてくれる。
そんな人に活力・生きる力を与えてくれる人こそ、本物のプロだなーと感心してしまった。


PS:
うちで見ていたデービッドはテレビに映っている自分を見たらしい。
結構見られているもんだ。
まあ、髪の毛がうざくてバンダナ巻いていたから目立ったのかもね。


ちなみに知ってました?
BBCのWEBサイトでテニスの中継が見れるんですよ。こっちの時刻で毎日12時から始まります。
しかもセンターコートやNo1からNo4、No18を選択して見れるんでっせ。ぜひ試してください。
http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/tennis/

アイスランド(氷国)に行ってみた

さて、こっちに来てから観光という事はあんまししていない。
せいぜいロンドンの美術館をぐるぐる回っているぐらい。
観光というより、膝痛のリハビリと英語の勉強といった感じ。
まあ、ひたすら勉強に打ち込んでいたかと聞かれると、あやしいんだけど。


そんな折に日本から友達が遊びに来るとの事だったので、
ここは一発びびらせちゃろーという事で、探し出したのがアイスランド(氷国)!!

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アイルランドとちゃいまっせー
アイルランドはイギリスのお隣さんですぐ行けるけど、
アイスランドはロンドンから飛行機で北へ3時間。
同等の緯度としては、カムチャッカ半島のさらに北、アラスカぐらいの緯度。
観光で立ち入れる緯度としては、限界ぎりぎりラインだと思う。
イメージとしては屋久島を100倍ワイルドにした感じ。


気温が低いから屋久島みたいに、ぼーぼー樹木は生い茂っていないけど、
その分、ありえないぐらい広大な地形が広がっている。地平線なんて腐るほど見れる。
主要道から一本入って数十分走れば、もう人工的な建物は存在しない。コンビニなんてあるわきゃないし。
日本のすごいとこはどこまで行ってもコンビニがあるとこ。


初日だけ主要どこのゴールデンサークルを、一日で回ってくれるバスツアーがあったんで、それに参加してみた。
さすがにメインの観光名所なだけに結構それなりに観光客がいた。日本と比べたらスカスカなんだけどね。
途中ドイツ人の大所帯の団体さんがわらわら通り過ぎていった。その中の一人のおっさんに話しかけられた。
適当に世間話をしていたら、なんか急に日本とドイツは戦時中から
仲良しだったんだぜーみたいな展開になって、
俺は知っているぜー「ニイタカヤマノボレ」だろ、な!兄弟!
自分は苦笑いで、Oh,yeah-!としか返せなかった。あんた映画のパールハーバー見すぎやろ。



気になるとこはギャウと呼ばれる一見岩だらけの地形のとこなんだけど、
実はここ北アメリカプレートとヨーロッパのプレートが生まれるところ。
基本的にはそういった地点は海の下なんだけど、
この島だけ変わってて、その割れ目が地表に出てきている、だからめずらしいという訳。
画像の道幅は毎年1インチ(2.5cm)づつ広がっていると言っていたから、げっ、結構でかいじゃん。
ここに家作ったら、10年後には25cm広がっているからお買い得物件やねー。伸びる庭付き!




一番の目玉は間欠泉と青い氷河が浮かぶ湖。見たとき、"うぉっ"て思った。
間欠泉という言葉を聞いたことはあったけど実際に見たのは初めて。
水の色がすごいきれいだったのも印象的。
これはアイスランド全般で言えることなんだけど、
全てにエメラルドグリーンの色がついている。



氷河も青かった。
空の色が反射して青くなっているとか、海の色を反映しているとか言う人もいるが、
この曇った中でも、この色なので、氷河自体の色だとはっきり思う。
理屈的にはこんなとこだと思う。




あとはブルーンラグーンかいな。
一年前ぐらいにネットで見てこんな場所が世の中にあるのかと思っていたけど、
一年後にその風呂にどっぷり漬かっているとは夢にも思わなかった。
感想としてはでかい熱めの温水プール。天気がよかったから気分は最高だった。
あ、でも端の方には行かないほうがいい。髪の毛とかごみがわんさか沈殿していた。




レンタル代高かったけど、4駆を借りててよかったわー。



アイスランドのオフロード運転はすげー面白かった。
日本ではなかなか体験できない。
見渡す限り原野で視界には人工物がなーんも目に入らないんだよね。
ぶっ飛ばそうが何しようが誰も文句言わない。freedom!!!



アイスランドでは左ハンドル右側通行。レイキャビックの街中だけ注意して、
郊外に出ればもうもうそこはなーんもない一本道。運転はすぐ慣れた。
これで、世界のどこへ行ってもある程度は運転ができそう。
インドとか中国を除いて。この2つの国だけは絶対ごめんこうむる。
乗っているだけで心臓がいくつあっても足りないぐらい、もうルールなんて全員無視状態。
この人達、乗っている時間の半分以上クラクションを鳴らしっぱなしだから。
走行距離はアイスランド(3日間)で1600kmぐらい。
なにせこの国は走って移り変わっていく景色を楽しむことがメイン。


やばかったのは50km走っても次の街もないし、
ガソリンスタンドがなくて、赤ランプついてやべーよってとこで、
寄ったスタンドはマシンがぶっ壊れてて、
その次のガススタンドでやっと補給できた時はマジほっとした。
こんなとこで立ち往生したら、近所の人にガスちょーだいって言いに行く必要があるんだけど、
ご近所に辿りつくまでにマラソンせんといかんだろうね。




食べ物としては、アイスランドで食べたガーリック味のロブスターがうまかった。
ネットで探していけば、それなりに人がいっぱい来て、はやっているお店があるみたい。


とにかく屋久島とかアイスランドとか気性がというか気象が激しい。
車を運転していても、横風に煽られて流される。最大瞬間で20m/sは超えていた日もあったと思う。
雨、強風、雪、雹、あられ、快晴とまあ、めまぐるしく変化していく。
それでいて、地面の中はカッカしてて、熱いお湯を沸かしてくれる。
そういう共通項があるなと思った。
まあそれでも日程の半分は天気に恵まれて気候もよく、文句のつけようがなかった。


全てのアイスランド画像


PS:
アイスランドに行く前にうちのキャロルに聞いてみた。
俺「アイスランド行ったことある?」
キ「ええ、とってもいいとこよね。近くにあるわ。」
俺「ああそーなんだ。」
キ「冷凍ものが安いし。」
俺「へー、それはいいね。」
キ「ほら、駅裏にあるじゃない」
俺「はあ?」

チャリ旅行記 屋久島編 その6

13日目 宮之浦 ⇒ 種子島(島間港) ⇒ 島の真ん中らへんの海辺 35km

やっと屋久島を脱出できる。
フェリー場には人が結構いた。
何せ、みんな足止めされていたから。
そんな中に2人のライダーと1人のチャリダーと会って、
フェリーの中で話していた。


チャリダーの人とは一日だけど、種子島を一緒に旅した。
ほかの人と歩調をあわせてチャリをこぐというのは結構気を使う。
このときは自分の方が遥かに重量が軽くて、合わせる側だった。
相手は鍋とか包丁とかフル装備だったから、
かなりの重量で、走るのもつらかっただろう。


種子島を走って思うのは、屋久島とはだいぶ違った雰囲気がした。
屋久島と近いのに地形的には全く切り立ってなくて、なだらかだった。
最高点でも282mと低い。
そんな地形だから、波が立ちやすいんだろう。サーファーがちらほらいた。
また、地元の人の反応が変なものを見るような目線だった。
屋久島では旅人が多いせいかフレンドリーだが、
こっちはさも珍しいかのようだった。



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14日目 海辺 ⇒ 種子島西之表港) ⇒ 鹿児島港 30km

さて、とうとう入り口の鹿児島港に戻ってきた。
チャリダーの人には別れを告げた。これからフェリーで地元の四国に帰るとか。
鹿児島港のフェリー待合室に再び戻ってきた。
しかし、この数日で多くのことを経験した自分は、
以前そこに寝ていた自分よりも確実に1まわりも
2まわりも大きくなったことを実感していた。
この数日間の事を考えているうちに、夢の中に落ちていった。



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15日目 鹿児島港 ⇒ 北川(延岡の北10Km) 210Km

フェリーで桜島に渡り、北を目指した。
2日半で福岡から鹿児島に来れたのだから、
2日で戻れるだろうと。無謀にもそう考えた。

すぐに都城から宮崎に入り、ひたすら北上した。
にしても宮崎は長い。
行けども行けども、県境は来ない。
でも、助かることに平坦だ。アップダウンがない。
後はひたすら時間との戦いといったとこ。
夜の9時を回っただろうか、さすがにもういいだろうというとこで、
道の駅を発見したので、そのままそこで寝た。
今日はよくこいだと思う、我ながら。
芝生があったのでテントを張ってもよかったが、
面倒というのと、なんとなく、周りに人がいるとこで寝たくなかった。
なので誰も使ってなさそうな、障害者用トイレを内側から錠をかけて寝た。
幸いにも内側には横になれそうな段があったから、
ラッキーと言わんばかりに寝た。
人の気配がしたが、無視した、ちょっとどきどきはしたが。



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16日目 北川 ⇒ 福岡 50km

さて今日はさくっと福岡に帰る日だ。
快調に朝から飛ばしていたが、
50kmぐらい走ったとこでパンクしてしまった。
換えのタイヤはといったら、手元にはなかった。
近くにチャリ屋は到底ないようなド田舎だった。
そんな事をごちゃごちゃ考えているうちに、心もパンクしてしまった。
結局、輪行(チャリを分解して折りたたんで電車に乗っけること)で、
大分のどこぞの駅からさくっと福岡に帰ってきた。ま、よかろうも。



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まとめ

以上が自分の初めてのチャリンコ旅行である。
最後は尻切れトンボになってしまったが、
それでも今までの旅全てを振り返ってみると、
この初めての旅が一番印象に残っていて、
心身共に充実していて、楽しかった。


ここから学んだことは、自分がちょっと難しそうで、できるかどうかわからない。
といったことに一歩踏み込んでやってみると世界が広がるし、
そういったときの記憶こそが、鮮明に覚えているということ。


また、ピンチは必ず訪れる。
そのときにぐっと耐えて、少しずつ前進すると、
完全に閉ざされたかのように思われた道が開ける。
そういった、メンタルの部分も多少なりとも得た気がする。
まあ、ヨットで培った土台が結構大きな影響をしている。


最後にこういったハードな遊びをしたいと思ったら、
常日頃から自分の体を鍛えておく必要がある。
レーニングによって効率よく鍛えるか、
スポーツなどで遊びながら楽しく鍛えるかは、
人それぞれなんだろうけど。

チャリ旅行記 屋久島編 その5

9日目 安房 ⇒ 栗生


朝一、目が覚めた。案外人間は丈夫にできているらしく生きていた。
筋肉痛はさすがに全身で感じていたが、疲労感は寝て取れた。


金をおろして、バスで尾之間の温泉に行こうと思ったら、
バス停の前におばちゃん集団がいたので、自分も加わってべらべら話していたら、
さらにおばちゃんは仲間を呼んで増えていく。
最後におばちゃんの一人が尾之間に車で行くというから、乗せてもらうことにした。ラッキー


尾の間の熱い温泉は、疲れた体にしみわたった。こういうときが一番幸せを感じてしまう。
ヨットをやっていた時も、くそ寒い冬の強風で出艇して、
帰ってきたときに、熱い一杯のお茶を飲む。そんな時に幸せを感じていたのと同じ。
尾の間からバスで栗生に帰ったら、荷物料も取られて1000円もかかった。
高すぎる。。。こんなことなら、誰かに乗せてもらえばよかった。


キャンプ場に帰ってすぐに寝た。しかし、例のコインランドリは閉まっていて、
外で寝るしかない。帰ってきたのが夜遅かったから、テントも借りられない。
仕方ないから、炊事場で寝袋に丸まって寝た。


にしても、一人はさみしい。
uさん達がいたときを懐かしく思い出していた。
人間は一人になって初めて、孤独を理解する。
みんなといると、気が紛れているだけなんだなと。

10日目 栗生 ⇒ 宮之浦 49km

朝からガキンチョが騒いでいて起きた。
どうやら炊事場でカレーを作るらしい。
こんな起床もめずらしい。

今日は移動日。宮之浦まで戻って、明日には種子島に渡ろうと思う。
栗生の橋のとこで大学生サークルの人らと会った。
西部林道を通って、宮之浦に行くんだとさ。
現在、北西のド強風が吹いている。
この強風のなかご苦労さんなことだと思ったが、
自分自身も楠川からは直撃を免れない。


なんとか夕方までにオーシャンビューキャンプ場についた。
しかし、強風でテントを立てようにも、吹っ飛ばされそうになる。
無理に立てても、夜中に吹っ飛ばされるばいと思い、宿を探し出した。


そこで見つけたのが、"晴耕雨読"というとこ。
宿には幾人か学生さんらしき人もいるし。
とにかく話すには事欠かない。
居間みたいなとこにいると、いろんな人が出入りしてくる。
島を採っているカメラマンとか、近所のおばちゃんとか、宿のオーナーとその知り合いとか。
うじゃうじゃ。


強風で種子島行きのフェリーを待って、
そんなこんなで3日間もここにいた。

チャリ旅行記 屋久島編 その3

5日目 栗生⇒ 尾之間 ⇒ 栗生 35km

朝から爽快だった。
昨日の外人さんと少し話してみた。
英語を発音するなんて、いつ以来だろう。
それでも相手がチャリダーだと、話そうという意欲がわいてくる。
彼らはフィンランド人で2人で世界をちゃりちゃりやっているらしい。
メガネをかけた方は28歳、会社を辞めて旅を始めたらしい。
もう一人の子供っぽい方は18歳一体どういう組み合わせなんだ?
これからフェリーで九州に行き、北上して、呼子壱岐⇒四国⇒北海道をまわるらしい。
ここに来る以前も、世界のあっちこっちを旅していて、何でもスイスのマッターホルンを走った時は、
4日間上り坂が続いたそうだ。一体どんだけタフなんやねん。


そして2人のオッサン(Uさん・Iさん)は、実は福岡の香椎に住んでいるらしい。ご近所さんだった。
目当ては、70cmオーバーの黒鯛だそうだ。
釣りの事もいろいろ聞いた。えさはウニを使っているとか、
天気や風向き、潮によってもつれるかどうかは異なるらしい。


この日は山に登るための食料を買出しに、尾之間のAコープへ行った。
その途中、湯泊のタダ温泉に行ったら、おねーさん二人が入ってた。
さすがに上はTシャツ着ているが、下はなぜかパンツ。
でも、意外と特に何も思わなかったから、「入っていいですか?」って聞いて、
一人で素っ裸になって、浸かっていた。

湯泊まりの湯船


警察行って、登山のことについて聞いてきた。
よく覚えているのが、屋久島の山の地形は特殊らしい。
普通の山は下っていけば、ふもとに降りられる。




屋久島は普通の山と逆で、ふもとに近づけば近づくほど急になっているから、より危険性が増し、さらに精神的にも追い詰められ、滑落事故が後を立たないらしい。実際に毎年、数人死んでいる。だから、逆に尾根に向かって行くべきなんだとか。気をつけよう。


Aコープにいって、がっつし買ったら、3700円にもなった。
うーむ、屋久島の物価は安くないね。
帰りに念願の平内海中温泉(100円)にいった。
こんだけダイナミックな湯船もなかなか珍しいだろう。
基本的に干潮の前後4時間しか浸かれない、ということは要するに波打ち際ということ。
湯船はコケでなんかぬるぬるしていた記憶がある。
で、なにが衝撃だったかというと、おばちゃんが素っ裸で温泉に入っているわけ。
人まで、ダイナミックというか、アバウトだ。


キャンプ場に帰ったら、Uさん達に焼き飯をもらい、温泉に行こうと誘われたので、
車に乗って、また尾之間に逆戻りした。車は楽だね〜。
今日3回目の温泉。尾之間の温泉(200円)が一番普通で湯加減も熱くて最高。

6日目 屋久島一周(車) 105km

この日は、昼前からUさんたちが車で空港前のDIYまで行くらしいので、
便乗して乗せて行ってもらった。
風が超強くて、大浦温泉(300円)の前の海辺の波がやばいことになっていた。
5mぐらいあったと思う。岩にあたった波しぶきが、50mぐらい離れているここまでくるんだから。
ヨットに乗り始め、海に結構出ていると思うが、ここまでやヴぁい波は初めて見た。


帰りがけは、西側の西部林道を通ったが、初日こっち側をチャリで走らんくって良かったと思った。
山道も山道、結構高さも上がるし、ヤクザルだかヤクシカだかいっぱい出てくる。
(といいつつ、2006年に来たときには西武林道をチャリで走った。結構しんどかったわー。
自分がプロフィールで使っている画像は、このとき西部林道でとったもの。)


夕方キャンプ場に戻り、またまたコインランドリーの中で鍋をした。
なんて幸せなんだろうか。
なんちゃってチャリダーには、柄の間の暖かさに、
気持ちがゆるゆるになっていた。

7日目 栗生 ⇒ 宮之浦(標高0m) ⇒ 白谷山荘(標高825m) 徒歩10km

今日はUさん達が帰るとのことで、またまた便乗して宮之浦まで乗せてもらった。
宮之浦岳に登りたかったが、南からのアプローチは大川の滝のとこらへんからもいける。
しかし、かなり迷い易くリスクが高いと聞いていたから、初心者は普通のルートで宮之浦から入ることにした。

ふもとの観光事務所で登山届け出したら、もう一人の登山者が既に山に入っているから、
おそらく白谷山荘で一緒になるでしょうと言われた。誰かいる方がいいと思った。


ふもとから山荘までざっと2時間半かかった。山荘の中は荒れ果てていて、
ここに一晩泊まるのかと思ったら、ちょっと躊躇した。できたら次の山荘まで行きたいが、
もう日没で既に薄暗くなっている。


で、荒れ放題の山荘の中に一つ変な部屋があった。
扉が開かない。
でもその扉に、鍵はない。
ということは誰かが中にいるのか?
まさか。。。
ここで、ふもとで言われたもう一人の登山者の存在が脳裏をよぎる。
誰が何のために?そんな面倒なことをするだろうか?
いろいろな考えが浮かんでくる。
深夜襲われるのだろうか?
気が気でない。飯も適当に缶詰を食って、寝ようとしたがなかなか寝付けない。
怖いから、Uさんにもらったサバイバルナイフを手に握り締めている。
うとうとと、疲れたからだは意識を遠ざけては、また戻ってくることを繰り返した。
扉が開いて、闇の中の何者かが自分の首を絞めてくる夢まで見た。
ものすごく長い時間に感じられたが、時は経って外が白み出してきた。
すぐさま飛び起きて、こんな山荘は後にした。
このとき朝の5時。


マジでこんな恐怖は初めてで、今後一切ごめんだね。
で、その山荘の画像
この画像より、もっと荒れ果てていたと思う。